題名のない今日

あと少しで21歳になるらしい。
高校をつい最近卒業したばかりの気持ちだが、気づけば卒業から2年経ったらしい。

この2年間色んな新しい出会いもあったし、再会もあった。
これまでの人生では想像できないような世界にも飛び込んだ。

19歳のころは色んなところに旅行へ行ったり、色んな人に出会いに行くアクティブさがあった。
20歳では将来本気でやりたいと思えるものを見つけて、中学時代の勉強をもう一度やり直したり、試験のためのトレーニングをやり始めたりした。

もちろんこれまでの人生で傷ついた心が暴れ出し、希死念慮に苛まれる日々が続くこともあった。

だけど楽しい気持ちが大きくて、そんな日々も比較的短く済んだ。


しかし今年度に入ってから何かがおかしい。
確実に自分が壊れてしまっているのだとうすうす感じている。

1ヶ月まともに食事をしなかったり、フラフラになりながら車校へ行ったり、悲しくて涙が出たり、ベッドの上から動けなかったり。

初めて本気で心療内科の受診を考えた。
でもそんなお金はなかった。そして病院に行く気力もなかった。

もちろん学生時代から自律神経の不調はよくあったし、病むことも沢山あって似たような状況に陥ったことも多々ある。

しかし、今回はあまりにも長すぎる。きっと子ども時代から無理をしたせいなのだろう。

今回はあまり長々と書かないが、とにかく子ども時代の家庭環境は大変だった。
本当にしんどかったし、今振り返るとなんであの環境に耐えられていたのか意味がわからない。

そして、その「耐え」が今になって自分の心を抉っているのに気がついた。

本当にしんどいことだ。

当時は自分が耐えればなんとかなると思い、とにかく我慢の連続で、今だけ頑張れば、乗り越えればなんとかなるんだと信じていた。

だけど大人になって気づいた。

あの時無駄に強がっていたことが自分の想像以上に心を傷つけていて、その傷は時間が経っても修復不可能だということを。

だけどもうあの頃には戻れない。
心に傷をつけない選択をすることはもう出来ない。

ただしんどいだけで何も解決しない。
この心の傷を癒してくれる存在はもういない。

自分の傷を癒せるのは自分だけなんだろうけども、そんなエネルギーも持ち合わせていない。

とにかく言えるのは、これから先も生きていて辛いだけで、死んだ方がマシであるということ。

死にたいというより死ぬしかないのほうが強い。

この約21年間、ものすごく人に恵まれてここまで来れたと思います。

特に中学の先生たちには感謝してもしきれません。

自分に本気で向き合ってくれる
そんな大人がたくさんいて幸せでした。
たくさん振り回してきて本当にめんどくさい奴だったと思うけど、それでもなお未だに向き合ってくれることに本当に感謝しかありません。

やっと将来やりたいことを見つけて色んな先生に相談したら、おすすめの勉強法とか参考書とかをわざわざ教えてくれてとても幸せな気分になったことを覚えています。
たくさんの愛をありがとうございました。

これから先も忘れられない教え子であってほしいなと願います。

存在を忘れるべからず🫵

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