博士(工学)を取得した。
道のりは本当に険しく、何度も諦めかけたけど、ついにこの日を迎えた。
2023年3月23日、横浜国立大学理工学府より博士(工学)を授与いただいた。
水素サプライチェーンを構築するデバイス(水素製造装置、水素貯蔵・輸送のためのデバイス、燃料電池)内の水素⇄電力変換効率に影響を与える現象に関する研究により、博士論文を執筆した。この現象はデバイス内でブラックボックスとなっていた現象であったため、様々な可視化手法を用いて解析を行った、という報告である。
博士論文では水素⇄電力変換効率を向上するための運転条件や、デバイス内部材の開発に関する提案を行った。また、今後さらに運転性能を向上するために理解すべき現象に関する提案をし、さらなる発展に向けた展望を述べた。
”研究”は人生の歩み方を考えるにはとても魅力的な材料だった。研究と常に自分の価値観を壁打ちし、これからの生き方や自分の価値観を醸成することができたと思う。何より、そのテーマ設定を自分自身でできたことが価値観を確固たるものにできた理由だと確信している。
本来であれば研究とは縁遠い人生を歩むような人間だった。常に自分の感性で動き、理論ではなく直感で行動指針を決めるENFPの自分は研究者なんて縁のない人間であると、今でも思うことがある。そんな研究に自分と向き合わせてくれ、”お前の好きにやっていい、金は払う”と放任し続けて見守ってくれ、金銭的に支援し続けてくれた指導教員には本当に心の底から感謝しています。ありがとうございました。
社会に出るまでに時間はかかったが、自らの価値観を確固たるものにするために必要な時間だったと思う。その時間で得られた学びを今日はここにまとめ、自分の備忘録やちょっと博士を考えている人の背中を押せるといいなと思い、ここに残すことにする。
課題を設定し、現状との差を認識する力
一言で言えば、”問いを立てる力”になるのだと思う。昨今目まぐるしく変わる社会情勢の中で、この力の持つ力はとても大きい。
インターネットが世間を席巻し、今や誰でも当たり前にインターネットに触れられる時代が到来した。それと昨今のAIの発展の様子は目を見張るものがある。
インターネットが普及するということは、情報の格差が埋まり手法の差別化が困難になるということ。つまり誰が何をやっても似たようなプロダクトが生まれてしまう危険が孕んでいる。だからこそ、自分自身が”何故そうなる?どうして?”という問いを立てて、行動することに意味がある。目の前のことに全力で向き合い、少しの疑問も違和感も無駄にせず、行動に起こすことに意味が出てくる。何故なら、他の誰かと差別化を図る秘訣はプロダクトではなく、”あなたという人間が取り組む”ということであるから。
そして具体的な行動に起きるためには、理想に対して現状をしっかり把握する必要がある。その差分こそ”行動”する意義になるのであり、差分を認識するために現状を把握することが重要である。
研究は問いを立てることの連続。時にはそれは研究者の直感だったりすることもあるが、理論と経験に裏打ちされた直感は”仮説”に変わる。
仮説を立てて現状を分析するために文献を調査し、簡易な実験や時には数値解析(俺は一度もやらなかったけど)で現状を把握し、仮説を実証する道筋を立てる。このことを実践することができたのが研究室で過ごした時間だった。
理想状態を実現する上で有効そうな手法を見つけ実行する力
これは有効な手法を見つける力、実行する力、この2種類に分類できようか。
有効な手法に関しては文献調査などが有効であるが、ここにも”自分という研究者が取り組む意義”があるのだと思う。つまり、学会や研究者交流会で知り合った人に聞いた実験方法は有効であった場合が多いし、うちの指導教員はこういった対面の場所で情報収集を熱心にする人だった(単にお酒を飲むのが好き、という話があるがここでは割愛する)。
何より実行してやり切る力。これは本当に大切だし培うことができたスキルだと思う。つまり研究とは”普通そこまで誰もやらないって”を実行した人の業績で成り立っているんだと思う。
僕のような研究者の卵養成課程=博士課程ですら、大学内人口は約2.6%にとどまる(アカリク調べ)。僕が出席した卒業式では、学部生の卒業生が約1600人に対して、博士卒は約30人と、2%未満にとどまった。
そこからさらにふるいにかけられ教授などアカデミック職が爆誕するのであるから、教授とはおばけのような存在である(そんなことはない)。
だから一つのテーマに向き合い続ける姿勢がそのまま強みになるのであろう。実際肩書きに大した意味はないけれど、僕にとっては大きな自信になった。
博士(工学)が力をくれているような、そんな気持ちである。
一見関係のない事象に共通点を見出し、融合することでイノベーションを起こす力
博士課程の間、僕は自分のテーマ選定にジリ貧だった。優秀な博士学生は課程中で一気通貫したテーマに対して取り組み、結果に対して逆算して計画的に取り組むことができるものであるが、僕にはそんな大局を描ける能力なんてなく、結局最後の最後まで”博士論文を何でまとめるのか?”の部分は定まらなかった(それが定まったのは博士論文予備審の3週間前だったのは僕が最遅記録なのでは、という自負がある)。
だから何をやっていいのかわからなかったから、とにかくなんでもやった。関係のありそうなテーマはもちろん、隣の一見関係ない後輩のテーマにも(わからないのに)首をつっこんで、後輩と一緒に沼にハマったりしたものだ。先輩らしく後輩の悩みを解決してあげられればカッコよかったのだろうが、一緒になって”わからないね〜”とニコニコすることしか僕にはできなかった。ポンコツすぎる。
だけど意外と思わぬところにソリューションは転がっているもので、全然関係のないテーマに取り組むことで自分のテーマのブレイクスルーになることは多々あった。
何が役に立つのか、どれとどれがつながって線になるかなんてこの世の中でわかるはずがない。変数が多すぎる連立方程式で解を導き出すようなものだ(ってホリエモンがいってた)。だから目の前にあるものに真摯かつ全力で向き合ってみることはとても大きな意味があるし、どうせそれは自分が”今”抱えている問題に行き着くものである。
自分に目的意識さえあれば、点と点は自分の中で勝手につながってくれるのだ。だからこそ、いろんなことに全力で向き合う癖をつけられたし、全然関係のないもの・人同士を繋げることもできるようになった。
そしてこれはそっくりそのまま”イノベーションを生み出す力”に他ならないのである。
他と自己との差を認識し、自己の独自性を見出す力
これは自分にとって圧倒的に不足していた”自己肯定感”を上げてくれるのに役だった。
研究は”独自性(新規性)を出しいかに先行研究と差別化をするか”をとにかく研ぎ澄ます。何故なら新規性のない研究テーマは学術的な価値がないからである(早い話、論文が書けない)。
”これは僕にしかできない”、という要素を洗練する。重箱の隅をつついてもいいから、状況を限定すれば、前提をギチギチに固めれば、この状況を再現性もって実現できたのは自分が初めてです、僕が知る限り、をとにかく積み重ねた6年間だった。
自分にしかできないことがあるということを知ったし、”自分にしかできない”と解釈する手法を知った。客観的にどう見えるかとかは正直そんなに大事じゃなくって、”少なくとも僕が知る限り”自分にしかできない、ということを研ぎ澄ますことを覚えたことは僕の気持ちをとても軽くしてくれていると思う。
他人と横並びにして自分を卑下して、落ち込む引っ込み思案な時間が長かった僕にとっては、このスキルを身につけたことは本当に大きな財産になると確信している。これからも他人と比較して落ち込むときがくるかもしれないけど、少なくとも解釈の変え方は学んだ、とても貴重な時間を過ごした。
博士のススメ
”研究”という世界が未知すぎるということや、経済的支援が乏しいこと、いろんな理由で博士を諦めてきた人をたくさん見てきた。僕だって今の指導教員に出会うことがなければその1人になっていたと思う。
だからこそこの世界を経験できたことは本当にかけがえのないことだし、今となっては進学したことは最高の決断だったと自信をもって言える。
いろんな人がいるしいろんな環境で暮らしている人がいるので、一概に言えることはあまりないのかもしれない。だけど、少なくとも興味がある人、いってもいいな、と思っている人は是非未知の世界に飛び込んでほしいなと思う。
昨今は風当たりも変わってきて、僕が入学したときと比較して博士課程の価値も大きくなっていると感じる。社会が求めている人物になれるかもしれない。
博士のニーズに目を向けて、社会的価値を高めるために奮闘している人だって知っている。彼らは博士学位の価値に早くに目をつけ、正しく適切にスキルが社会に還元されることを望む最高にイケてる集団だ。
あなたを応援してくれる人は意外と社会に沢山いる。僕が声を大にして言いたい。
だから、ちょっと怖くても、その未知なる、多少クレイジーな、その世界に飛び込んでいってほしいなと思う。
全ての博士進学に悩む学生や、大学院進学を検討している社会人の皆様に少しでも届くことを願って。
本当にありがとうございました。皆さんが社会活動を維持してくださったおかげで、励ましてくれたおかげでここまでこれました。少しでも皆さんに還元できるような社会人になれるように邁進して参ります。
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