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うみいろノートNo.14 背中

すっかり冷たくなった12月の風が背中に吹きつける。
古本屋の街であると同時に、カレー屋の激戦区という顔も併せ持つ神保町。

新卒で入った今の会社で社会人生活をスタートさせた3年前の春。その時から今まで、ずっと指導先輩だった人とカレー屋の暖簾をくぐる。

会社に辞意を伝えた時、どうしても自分の口で決意を伝えたいと上長に伝えたのがその人だった。
不愛想で、強面にも見える5つ年上の先輩。学生時代から剣道に打ち込んできたその人から、社会人としての自覚や礼儀、仕事のイロハを教え込まれた。

早く一人前になりたくて、がむしゃらに仕事を覚えようとして空回りしていた1年目。
「仕事は短距離走じゃない。周りじゃなくて今は自分だけを見ろ」と言われた。
仕事に慣れてきたものの、見えない不安からスランプに陥った2年目。
「俺もどうしようもなく打ちひしがれたことあったぜ。きっと乗り越えられるさ」と励ましてくれた。
新しい道に行きたいとわがままを言って会社を去る覚悟を伝えた3年目。
「一度決めたからには走り切れよ。その方がやりがいあるからな」と背中を押してくれた。


実は先輩はかなりの酒豪でもある。
だから送別も兼ねた食事に誘われた時は、勝手に飲みの席だと思っていた。

「お前と飲むと俺の悪いクセが出るから、最後は飯だけな」

そう言われ、呼び出されたのはカレー屋だった。
カウンター席に着き、大きな声で注文をつけると珍しく先輩は黙りこんだ。

カレーが出てくるまでの間、僕も特別話しかけなかった。
先輩が口を閉ざす時は何かを言おうとしている時なんだと、これまでの経験が言う。
今、先輩は何を考えているのか。考えてみたけれど、やっぱり分からなくて、ただひたすらカレーを待った。そうしているうちに、ほんのり湯気の立った欧風カレーが運ばれてきた。

口に頬張ると、ピリ辛な味が喉をつく。
と同時に、先輩がようやく口を開いた。

「よくついてきてくれたよ。初めての指導後輩で、俺もどう接していいのか分からなくて強く当たったこともあった。厳しくしちゃって悪かったな」

いつもと違う優しい口調が僕に問いかける。
忙しい時期は理不尽に怒られることもあった。そのたび、先輩を嫌いになってしまっていた。

でも、なんだろう。
そんなことすら、今になってはこんな風にカレーを食べるスパイスのように感じる。

「今日のは辛いなあ。少し辛いの弱くなったかな」

そんなことはないと僕は知っている。先輩は今も昔も辛いものにはめっぽう強い。
先輩に負けじとカレーをひたすら頬張る。今までにない熱い感情がどこからともなく溢れ出てくる。

でも、どんなに早く食べようとしても先輩には勝てない。
そんなことはよく分かっているのに、一足早く食べ終えた先輩は僕をただ見ていた。視線を感じつつも、カレーに夢中な振りをする。

「寂しいなんて言っちゃいけないんだろうけど、俺は寂しいよ」

いつも後輩に強烈な先輩像を見せてきてくれたけど、今日だけはそんなの抜きでとても身近に感じた。
仕事以外で出会っていたら、どんな話をしていたんだろうな。
職場の先輩後輩だからこそ今の関係があるんだろうけど、もし違った場所で出会っていたら。どんな先輩だったんだろう。
いや、やっぱり先輩は先輩だったんだろうと、妙に腑に落ちる答えが降ってきた。


やっぱり、今日のカレーは特別にスパイスが効いている。
その背中も見れないほど、泣きそうなくらいに。

でも、そんな姿を今はまだ見せたくない。
道は変わっても、変わらない背中をまだまだ見ていたいから。

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進藤海/六月雨音/ようじろう/小宮千明/モグ。4人のライターがそれぞれの担当曜日に、ジャンル問わずそれぞれの“書きたいこと”を発信。

ボイスブックコンテンツ《Writone》より集まったライターによるリレーマガジン。

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