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そして、それからというもの

「私、昨日帰る途中に救急車見たもん。」

場所は矢場町の喫茶店。
アイスコーヒーの12枚組回数券を買おうかどうか、今日はそんなことは考えていなかった。

「まだなんか心臓ばくばくしてる、、」

僕もなんだかふわふわしていた。
リュックの中には17時からのバイトの着替が入っていて、あとはパソコンと卒論の資料。
17時までにはまだ1時間以上あった。
向かいの席に座っている友人はなるほどメロンソーダを飲んでいる。
僕は授業後に金山の2階のうどん屋さんで“おろしの冷”を頼んで、いつも通りの1日を過ごしていた。
そんな僕だが、僕には昔から、“ここに来るのはこれが最後だな“というのが分かる感覚がある。
いつも通りに過ごしていても、〝これ最後だな〟と感じ取り、周りを見渡して記憶に焼き付けようとする事が、ある。
ここの喫茶店に来るのも最後になるだろうと分かっていたから、僕はアイスコーヒーの回数券のことも考えなかったのかもしれない。
それは防衛本能からくる物事を俯瞰で捉えるクセの賜物のようなものだと思うのである。
だからこの間、あのホテルを出る時も、“ここに来るのはこれが最後だな“と思っていた。
そして、あのホテルを出てからというもの、僕はいつもをぼーっと過ごしていて、気がついたら通りに面した行きつけのこの喫茶店でアイスコーヒーを飲んでいた。

「私、昨日帰る途中に救急車見たもん。」
「なんか、こういうの生きてきて一番身近で起きた出来事かもしれない、、テンション下がるよ、、」
「ツイッター見た?結構大事になってるよね、、バ先の友達もさ〜・・・」


『・・・コーヒーうすいナア。』

あのホテルを出てから今日まで、僕はある物語を書いていた。
その物語の書き出しは、
・化粧水の蓋をよく閉め忘れるー 
という書き出しだった。
それはある人の歌の歌い出しで、多分もう恐らく一生聞くことはできない。
聞く術がないのである。
僕にとって戸張大輔よりも、それはなんというか、ノスタルジーでいて、もう詳しく知りすぎないで良いと思っているものである。
もう一曲、彼女が大学一年の春休みに下北の路上で“xboyfriend”について歌っている曲もあった。
この曲のフレーズも物語には含まれていて、あくまでこの曲ももう聞くことはできない。
(当時YouTubeに外国人観光客が撮影した映像が載っていたが、それももう今はない。)

いまなにしてる

“ここに来るのはこれが最後だな”
僕がそう思いながらホテルを出て、ある物語を書きながらぼーっと過ごしていた日々のある夜に、月乃のあはこのホテルから飛び降りた。
情報はインターネット中を目まぐるしく駆け巡り、そのホテルは“いわくつき“になってしまった。

「はあ、バイトやだなー。死にてー。あそこまた飲み行こ、LINEして〜」
友達のメロンソーダは全然減っていない。

17時までにはもう30分もなかった。
大股歩きで地下鉄に乗った。
電車は遅延することなく駅に着いて、僕はいつも通りの接客をした。
帰りの終電車も遅延することはなく、ぼーっとしていたら最寄りに着いた。
握っているストロングゼロの味はと言えば、いやはやメロンソーダだった気がする。
その日はなんだか街に音がなくて、空が高くて、星がものすごく綺麗に出ていて、とにかく月が綺麗だった。
2020年10月1日は中秋の名月だった。
あの月は綺麗だった。
『今月もう22歳か。』

僕はそれからすぐ東京に出た。
あの友達とは深夜の高速バスで僕を見送ってくれたのを最後に会えていない。
東京に出てきてもう3年になる。
色んなことがあったよ。
2023年10月24日に僕が考えていることは以下である。

・退職して制作をする?
・転職する?
・インドに行く?
・飲食店で働く?
・仕事を続ける?
・さむい
・分かって欲しい
・ご飯作り過ぎ
・明日洗濯まわそ
・鏡欲しい
・頭がいたいよ
・どうしよう
・生きたい


今朝も山手線は遅延していた。
残業を終えて会社を出る。会社を出て渋谷の空を見てみたらZARAの上に月が出ていた。出ていただけ。
部屋について、見てみる。
化粧水の蓋はばっちり閉まっている。



『今月もう25歳か。』


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