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ジミーペイジはほんとうにギターが下手なのか?伝説を斬る!

ジミー・ペイジはギターが下手くそ伝説が広まったのはおそらく80年代あたりからだと思う。

レッドツェッペリンが活動中止したのは1980年、ドラムのジョンボーナムが亡くなってすぐだ。
リードドラムといわれたボーナムを失ったジミーの悲壮感は大変なものだったろう。
それがわかるのがエリッククラプトン、ジェフベック、ジミーペイジの3人が集結した1983年のアームズコンサートである。

ほんとは三大ギタリストの記念コンサートなどではなく、多発性硬化症という難病にかかったフェイセズのロニーレーンの救済コンサートであった。
スティーブウィンウッドやジョーコッカー、ビルワイマン、ポールロジャースら多くのアーティストが友情出演した。
主催のエリッククラプトンは81年のシークレットポリスマンズで共演したジェフベック先生に声をかけ、その結果ジミーペイジも参加することになったのがそもそも始まり。
ただこれは私感だが、シークレットポリスマンズの主催者だったスティングはほんとはジミーペイジとステージに立とうとしてたのではないか?

スティングはポリスのデビュー時の頃、ツェッペリンやストーンズをオールドウェイブとこき下ろしていた。
しかし実際はポリスを上げていくためのパフォーマンスだったのではないかということ。
というのもスティングはその後クラプトンやベック先生と交流を持ち、何度も共演してるのである。
いずれにせよペイジはスティングとの共演は神経質なあまり断っていただろう。
現在までほとんど接点がなさそうである。

○シークレットポリスマンズコンサートから
フィナーレ
ボブディランの曲をレゲエ調で歌うスティング
ジェフベック先生とエリッククラプトンが目立っているのがわかる(笑)

さてここで知り合ったベック先生とクラプトンは意気投合いする。
なんとかジミーペイジを表舞台に立たせたい。

そこで二人は自分らのバンドのメンバーでペイジのための即席バンドを結成し、ライブを決行するのだが、ペイジの演奏は散々たるものだった。


そしてそれに続く1985年に行われたライブエイドがさらに追い打ちをかける。
ジェネシスのドラマー、フィルコリンズがジョンボーナムの代役を英国会場と米国会場を飛行機で駆けつけてのパフォーマンスを見せるのだが、これまた練習不足とジミーとのリズム摩擦で大失敗であった。
ジミーはライブエイドの音源収録を拒否、これは現在でも正規版では収録されず、YouTube長などでの動画サイトで閲覧できるくらいである。
その後ジミーペイジはポール・ロジャースとのザ・ファームやデビッド・カバーディルやロバートプラントととのプロジェクト、そしてボーナムの息子、ジェイソンをドラムに入れてのレッドツェッペリンの再結成に至るが、ミュージシャンとして活動することが少なくなった。

話しは戻るが、ジミーペイジのギターは下手くそ伝説はこの80年代から出始めた。



さて実際どうなのか?
実はクラプトンやベックよりデビューも早く、元々はスタジオプレイヤーであって下手では仕事をこなせない。
アコギでやるトラッドなナンバーや名曲天国への階段、ハードナンバーの代表曲胸いっぱいの愛を
彼は作曲や編曲も手がけるし、ギターをちゃんとマスターしてないと出来ない技。

確かに天才技のジェフベック 先生やエリッククラプトン のようなオールマイティーなギタープレイとは一線を画すが個性的なギタープレイを聴かせるタイプである。

しかしながら現在のジミー・ペイジははほとんど楽器を手にすることがない。
おそらくレッドツェッペリンという巨大なバンドでやり尽くしたのではないかと。

現在レッドツェッペリンの未発表の音源はまだまだ残されているという。
彼はその編集に今も全力を傾けているのである。

○天国への階段〜映画 永遠の詩から




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