見出し画像

ジョニー・ウインター〜ホワイトブルースの伝説

ブルースという音楽は民族音楽でありながら今も現在進行形で流れる音楽。
このシンプルな音楽はロックだけでなく、ジャズやソウルといった黒人音楽のルーツでもある。
なかでもロックに直接与えた影響が大である。
今回取り上げるジョニーウインターこそまさにそんな存在である。

1969年百万ドルの契約金でデビューしたジョニーは文字通り百万ドルのブルースロックギタリストであった。
1971年ジョニーウインターアンドを発表、これ以降ブルースに加え、ロック色も強める。
ジョニーのプレイスタイルはファイヤーバードを手に持ち、親指にはめたサムピックで弾きまくり。音程ずれようが、外れようがそれも音にしてまうという凄技につきる。
スライドギターやドブロやアコギも弾きこなしジャズやカントリーなども取り入れるなどテキサススタイルのブルーススタイルを作り上げた。

○ジョニー・B.グッドをカバーするジョニー。
強引に弾き倒すスタイルは初期の頃既に確立。

シカゴブルースの巨匠マディーウォーターズはジョニーを義理の息子と呼び称賛し、ライブやアルバムでも共演した。
当時ブルースの影響をロックに持ち込んだライバルのジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンでさえ恐れうる存在であったのだ。
そんななかでもジョンレノンやローリングストーンズは彼のブルースやロックンロールの偉大さを認め曲やライブに参加、ジョニーはホワイトブルースマンとしての地位を確立していった。
○レイン〜マイナーブルースの隠れた名曲


しかし常に白人としての、またアルビノとしての苦悩にジョニーは薬物とアルコール依存へと陥る。
克服してはまた再発という繰り返しの中で、身体障害を起こし、とうとう90年代後半以降は立ってプレイすることが出来なくなり、ギターを弾くのにも支障が生じる。
それでも彼はギターを弾き続けた。


今年はあの東日本大震災から10年、既に3月11日を過ぎた。
そう10年前の2011年がジョニーの初来日公演であった。
震災直後の4月、ジョニーのコンサート開催は危ぶまれていた。
たくさんのアーティストがこの事態のため来日をキャンセルするなか、彼は待ちわびていたファンのために約束を果たす。
ブルース魂とでも言おうか。
ぼろぼろであろうが、それでもおれはギターを弾くのだという、それがブルースなのかもしれない。

ジョニーはその後2012年、2014年4月と来日、その3ヶ月後7月に70歳の生涯を閉じた。
死ぬ間際までプレイしたジョニーはあの世でジミヘンやマディと掛け合いをしてるのに違いない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?