見出し画像

四角いテーブルと円いテーブル

最近、ラジオをよく聞く。好きな番組はJ-WAVEの「INNOVATION WORLD」「GOOD NEIGHBORS」「TOPPAN FUTURISM」。タイムフリー機能は便利で、聞き逃してもスキマ時間に聞くことができるので、本当に素晴らしい機能だと使うたびに思う。

先日はInterFMの「BEAMS TOKYO CULTURE STORY」を聞いた。内容は「BEAMSのコミュニケーションディレクター 土井地博が、様々な分野で活躍しているゲストを迎え、影響を受けたファッション、音楽、アートなどのカルチャーから、ゲストの「こだわり」を紐解き、その人の未来のクリエイションを共有していく1週間のトーク番組」(HP抜粋)だそうだ。

BEAMSはただの服屋にあらず。店舗だけでなく、イベントや本、WEB、音楽などを通じて、その文化を伝えるカルチャーカンパニーは言うに及ばずだが、今年に入ってラジオもスタートした。僕が聞いたのはモデルのAKIさんの回だった。AKIさんがBEAMSと「AK+1」というブランドを作っているからご登場と相成ったらしい。

そのくだりで「AKIさんの家には円いテーブルがありまして、丸いテーブルって本当にいいですよね」(土井地さん)「私、お誕生日席みたいなのが苦手で(笑)」(AKIさん)と言う話がでてきた。

それがなんとなく頭に残ったため、このような駄文を垂れ流すことになった。

個人的にはだけど、四角いテーブルは四角なので生産時にムダがでない(と思う)。規格的な住宅にもマッチするし、デッドスペースも生まれないので、日本的のせまい住宅でもフィットする。下座も上座もわかりやすい。つまり、至極効率的な存在なのだ。

一方で「円いテーブル」はムダが多い。確かにフラットな立場で座れるのはいいけど、大きくなれば真ん中の領域は使えないし、どこまでが自分の領域なのかもファジーだ。最近ではデジタルテクノロジーによってオープンソース化が進みパーソナライズされたものが生産できるけど「円いテーブル」とは相性が悪そうだし。「円いテーブル」を作るとそれ以外の木材は余り、産業廃棄物として土に納められるか、天に召される事になる。「円いテーブル」の行き場は本当にないなあと思う。

とは言いつつも、この共有しやすい部分がたくさんある「円いテーブル」は現代の生き方とマッチするような気もする。実際に普段の生活やビジネスシーンにおいて「シェアリング」することは当たり前のタームになってきているし、「円いテーブル」であれば壁を取り払ったコミュニケーションがしやすいので、流行りの次世代組織モデルである「ティール組織」を構築するにもぴったりかもしれない(突飛すぎるけれど)。だからAKIさんがなんとなく「円いテーブルがいい」といった感覚は、やはり現代的感覚なのだなと思うし、さらに飛躍するのであればポスト資本主義に必要な神器(大げさすぎるが)にもなりうるかもしれない。

とはいえ僕の家は狭いので、四角いテーブルしか置けないのだけれど。