叱ると褒める、どっちが得か

叱る(罰を与える)
褒める(褒美を与える)
とした時、どっちが得か。
あなたはどちらだと思いますか? または、どっちで他者に対応しているか考えてほしい。

結論だけ知りたい人に先に答えを言うと、褒める(褒美を与える)ほうがめちゃくちゃ得をします。


では、解説しますが、これには凄く分かりやすい実際の例があるので、それを紹介したい。

今から300年以上前まで行われていた行事で『お氷さまを江戸の殿様まで運ぶ』というのがあった。NHKのタイムスクープハンターでも【お氷様はかくして運ばれた】として放送されたこともある行事である。
簡単に説明すると、当時は氷が珍しかったのでそれを毎年献上するという行事なんだけど、石川県の山奥にできた天然の氷、約200キロを四角く切り、それを4日間かけて江戸まで荷車に乗せて走って持っていくのだ。実際に献上される頃には、2~5キロ程度になり、形も歪で泥や砂がついた状態になっている。

しかし、実はこの氷は江戸に入る直前までは20~50キロあり、とてもきれいな状態なのです。それを江戸に入る直前の山でわざと溶かし、砂をかけたりして汚します。
なぜそんなことをするのか?

理由は、もしかしたら来年は凄く暑いかもしれないし、天候に恵まれないかもしれない。さらに途中で荷車が壊れて氷を落としてしまうかもしれない。
そんなトラブルが起きた時のために毎年わざと氷を最低の状態にしているのです。
これは当時の人の命がけの知恵なのです。というのも当時は簡単に文字通り首を切られる時代なので、馬鹿正直に毎年20~50キロのきれいな氷を届けていると、いざトラブルが起きた時に殺されてしまう。だからどんなに順調に運べても毎年最低な状態にして献上するわけです。

当時は氷以外にも初ガツオとかも有名だし果物や着物などありとあらゆるものが献上されていた。

その全てでお氷様のようなことが行われていたのは間違いないでしょう。

本来、一番良いものを手に入れるはずの殿様は、実は手に入れる物のほとんどが粗悪なものだったわけです。

その理由は、失敗したものに罰を与えたから

これを逆に良いものを持ってきたものに褒美を与える というスタンスだった場合は、毎年最高の状態の氷を手にしてただろうし、献上する側もその努力を惜しまないので毎年質が上がっていったかもしれない。

この褒美を与えるスタンスの懸念点は、褒美を欲しくないものがいた場合、物自体が得られない点だ。ただ、これは最低限のものを持ってこない場合は罰を与えるとしたら解決するのでどう転んでも、叱る(罰を与える)より褒める(褒美を与える)ほうが得をすることになる。


しかし、現実の社会ではいまだに叱るスタンスが多すぎる。子育てなんて良い例で、褒めれば伸びるのに無意味に叱ってしまう親がとても多いよね。
会社もそうだ。だいたいの会社は下請けなどに最低限を求めて、褒美が少なすぎる。これではどんなにうまくいっても現状維持が良いとこ。
私の知っているとある居酒屋はやる気のある若者にバンバン店を持たせて、その給料は売り上げがあればあるほど高くなるシステムにしてめちゃくちゃ成功している。システムこそフランチャイズだけど、上が気前よく報酬を配るだけでこんなに成功するんだと驚くほどである。

人や社会は叱る(罰を与える)では絶対に伸びない。褒める(褒美を与える)ことで伸びるようにできている

これを理解して人や子どもに接するだけで大抵は良い結果になる。ビビって叱ってしまう奴は上の例の殿様みたいに、最高の利益を得れる状況で最低な利益しか得れないという最悪な状況になってしまう。

その視点で人を見てみると、そいつの今後を予想することができる。怒って罰を与えるタイプか、寛容で褒美を与えるタイプか。
前者は今どんなにいい状況でも成長する未来はない。
後者は今どんな状況でも未来は明るくなっていく。自分がついていくなら前者のことはガン無視して後者についていくべきだ。


以上のことを人生の指針にして欲しい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?