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AU PRINCE HENRI.(1746.)

兄弟で彼ピッピを取り合った末の
お兄ぃ(34)→弟(20)への大人げないお手紙

お兄ぃ(34)→フリードリヒ大王
弟(20)→ハインリヒ王子


11. AU PRINCE HENRI.

(1746.)

Mon cher frere,

Nous n'avons nul reproche a nous faire, nous avons la meme froideur les uns envers les autres;
et puisque vous le voulez ainsi, j'en suis content.
Il n'y a que mon entremise pour vos amours qui vous adoucisse quelquefois envers moi,
lorsque vous en avez besoin. D'ailleurs,
le peu d'amitie que vous me temoignez dans toutes
les occasions ne m'excite pas a faire de nouveaux efforts de tendresse en faveur d'un frere qui a si peu de retour pour moi.
Voila tout ce que j'ai a vous dire pour cette fois, vous assurant que je suis, mon cher frere, etc.


11.
アンリ王子へ
1746年

親愛なる弟へ

私たちには互いを非難することしか今はもう何もなく、お互いに冷え切った関係ですね、
あなたがそれを望んでいるなら、私はもうそれでいいです。

自分のために私との間を取りなし、時々私に対して優しさを見せるのは、
ご自身の愛のために必要な時だけですね。

ちなみにあなたが私に見せる取るに足りない小さな友情は、
愛想もない弟のために、新たに慈しもうとする気にもなれませんね。

今回あなたに言うべきことはそれだけです、
私が大切な弟だと思っていることは繰り返しお伝えします。

*******

※冷え切った原因は兄(34)と弟(20)が
兄のページ(小姓)を巡ってもめたから。
14歳年下の弟に対して、大人げないぞ兄貴。

そして異性関係…じゃなくて同性関係でもめたことを突っ込んではいけない。恋は兄弟関係もぶちこわしたの。


ハインリヒ王子の肖像画

ハインリヒ王子は、野郎とお付き合いするほうが好きだったので、
ここも兄王と同じく別居夫婦になりました

ハインリヒ君のお住まい。ラインスベルク城。
フリードリヒ大王の王太子時代の住居(改装費は嫁が大体負担)でしたが、即位後、弟のハインリヒ王子に譲られ亡くなるまで主な住居として使用していました。兄王と顔合わすのは嫌で、正直ベルリンやポツダムに出てくるのはおっくうだったようです。
晩年はほぼここに引きこもり。

お墓もベルリン大聖堂ではなく、城の敷地内に作りました。
ピラミッドみたいなのが彼のお墓。

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