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『HAPPY WEDDING』をみました

HAPPY WEDDING
梅津瑞樹の一人芝居。感想とかなんとかつらつらつら。
円盤で観るの楽しみにしてるから!という方、作品の見方は自分で決める。誰も邪魔してはならぬ、と仰る方はこの先読まれませぬよう。



【勝手にシーン分け】
時と場所:遠藤春彦・未知の結婚披露宴会場。
A:春彦の入場(客席扉から通路をすすみ舞台上へ。高砂の椅子に体育すわり)
B:春彦バイト先の店長:ネリマ・スミオの挨拶(だいぶダメなほうのおじさんの滑稽味、春彦は奇人変人バンドマンとのこと)
C:新婦の元夫:ロバート・タナカによる乾杯(横文字系若手実業家の滑稽味、新婦への未練が相当あるようだが、それにつけても新婦も大分ぶっ飛んだ人柄だな)
D:春彦弟:アキ=本日の撮影係の振る舞い(おめでたい席なのに、どうもちょいちょい棘のあること言ってる)
E:春彦のバンドメンバー:オモイシくん&ドラヘイタさんの余興(新婦のたっての希望で追加された余興は、春彦の奇人変人ぶりが全て演技であると暴露する内容)
F:新婦同僚の余興(動揺する女子三人組の余興は、やはり新婦指定の『人体切断ショー』)
G:新婦の元同僚の乱入(ここで、作品の秘密が明かされる。それは、この披露宴に新婦が不在であること。なぜなら、新婦は故人だから)
H:披露宴司会者=新婦おじによる説教(元同僚を諭す態で新婦の死の状況など語られる。また、ここで披露宴を中止したいという春彦を、生前の新婦の発言をもとになだめる)
I:新婦の手紙(司会者の代読。ドキドキからワクワクへ、未来は自分でというキーワードの提示)
J:春彦の挨拶(新郎のむすびの言葉に模した、動顛、憔悴、呆然のなかで語られる春彦による春彦と、新婦)
K:特別ムービー(新婦撮影の『ふつうの』春彦)
L:二次会へ(エピローグ。まだ吹っ切れてない春彦が、新婦手紙の言葉を頼りに一歩踏み出す終幕。客席通路をつかった退場)
※人名の漢字表記あやふやなのでカタカナ
※上記全て、もちろん梅津瑞樹

【観劇回ごとのあれこれ】
①2/19昼 E列3
初見のどきどきはどんな時でも特別だ。それは、不意打ちの客席演出だけではない。知らないのだから当然、展開を見通すこともできないし、着地点を予想することもできない。どこに何が仕掛けられているのか分かったものじゃなく、全くの無防備で体感する。その結果自分の心がどう動くのかを大事にしている。できる限り真っ新な状態で観たい。真っ新でいってよかったなーの回。
今作の秘密は要するに、舞台上に常に一人しかいないことを利用したトリック。そういうこともできるのか!って素直に感動した。よくある手法なのかは知らん。理屈をわかってても、目の当りにしたら驚くと思うよ。

②2/20夜 K列3
初見の違和感を拾い直して、あるべき場所にピースを嵌める回。ネリマ・スミオの壊れてしまった涙腺も、ロバートタナカの未練をちりばめた乾杯も。アキが披露宴の写真に収めたい「悲しみ」、お色直しを「ばかじゃん」と言い捨てたことも、一周して戻ってみればすべてひと筋に繋がっていた。と気づいたらもうたまらなく、ぼろぼろぶるぶる。またしてもセルフ電気椅子だ。すごいのは、劇中でのネタばらし前のシーンはいずれも、爆笑するしかないつくりになっていることだ。
おそらくだけど、この回、両隣とも初見の方だったんじゃないか。だとしたら、楽しいはずのシーンですすり泣いてて申し訳なかった……。

③2/25昼 L列10
何も知らない友人が、スーパー特等席に座るのを見届けてから始まった回。友人の反応が楽しみすぎて、心臓が飛び出しそうなくらい緊張して開演を待っていた。友人は大満足の反応を見せてくれて、わたしは梅津くんと友人と両方見たくて目が足りない。
オモイシくんとドラヘイタさんの余興、何度見てもしみじみいい。VPなのかHBBなのか判断はつかないが、ともかくそれを梅津くんがやってる!という点でもほわああとなった。霞の向こうに雷太くんの幻視。共演まってるよ。話を戻すと、『許されよう』というタイトルがまたいい。意志・決意の「よう」か、あるいは推量の「よう」か。あるいはどちらも含んでいるか。人を『騙していた』春彦にとっても、それをさらけ出しちゃったメンバーにとっても救いの意味を成すいいタイトルだ。

④2/25夜 K列5
梅津くん本人も言ってたとおり、なかなか珍しいぼろぼろ回だった。だったし、後のニコ生のこの発言をきいて、一方でその意識を持ちながら一回の舞台として成立させてまるめる胆力とかなんかよくわかんないけど、まあ、わたしには想像を絶する所業です。こういうぼろぼろ回もそれはそれで見ごたえがあるもので、チラ見えするリカバリの瞬間は美味である。
『フェイバリットリスペクト』を噛んだロバートが、グラスの中身をひとくちだけ含むしぐさに痺れた。芝居を越えて、人間の動作としてめちゃくちゃ自然じゃん……。その後にひかえる、本来のグラスを呷るタイミングに影響のでない範囲で差し挟まれたイレギュラーもまた(おかし)。ああいうとき、役者の頭の中はどうなってるんだろう。
アキの撮影シーン、兄ちゃんにしか声かけてないことに気づいてまたぶわぁあ。アキのいるシーンすごくすき。
シーンKの後半は基本形が泣く芝居だったと思うんだけど、泣きのかたちも常に同じではなかった。いろんな泣き方があるよね。そうだね。

【春彦の語りについて】
Jのシーンは、実は大変に消化不良である。
作品のクライマックスかそうでなくても重要なシーンとして用意されていたことはわかる。わかるがしかし、同じことを表現するのに、他の可能性はなかったかと考えてしまう。
まず、全部セリフで、つまり言葉で積まれる詰められる表現が、わたしはどうも好きじゃない。そこで観ているものが演劇だから。言葉9割なら、それならそれはもう文字をすきに読みたいよという気持ち。
それから、語られる内容にもあんまり共感できなかったことが大きい。語られたことは春彦の思い込みであって、別段、真実や真理ではないのだけど。例えば、「普通の人間」「クラスの真ん中の生徒」は本当に記憶に残らないだろうか。春彦は「騙した」といったけれど、それは表現することとはっきり区別できるものだったのか、どうか。
役者梅津瑞樹の一人芝居の場だから、演技と嘘ってなに?演技者の生きる空間はどこまでステージなの?なんてことを投げかけられていたのかもしれない。
じゃあどうしたら満足だったんだよ?と聞かれても、口をつぐむしかないのでこのあたりで筆をおこう。

消化不良といいながら、夜中まで頭をひねらせる作品をリリースしたあの人達の勝ちだ。
それはもう間違いない。