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あーら熊さん、あーら熊さん

 大学院生の頃、関西で落語をさせてもらう機会があった。打上げで、共演者の中年男性と親しくなった。その段階で噺家に入門することを決意していた私は、その共演者にその旨を話すと「ホンマに落語家なるんか?」と訊かれた。それから、二次会のカラオケまで含めて、同じことを、少なくとも30回は訊かれた。「酔っ払いは同じ話を繰り返す」という現象に人生で初めて遭遇した時であり、その後で経験したどの同じ現象よりも、印象に残っている。
 「酔っ払う」とは、どんな状態だろうか。まだ自分の中でも固まった定義は無いが、或る観点から見れば「普段自分を抑圧しているルールを取っ払って行動しても良いだろうと思ってしまう」状態だと思われる。「酒癖が悪い」と言われる人には、酔うと、いつも言えないことを言ったり、和を乱すような振舞いをしたりする人が多く、そういう人は「飲むと気が大きくなる」と言われる。一方で、泣き上戸、という例もある。どうやら取り払われるルールは、他人との間のものだけでなく、自分の中でのルールなのかも知れない。酔っ払い方は人それぞれであり、一般論を編み出すのは難しいのかも知れないが、考え出すと、案外楽しかったりする。
 さて、では「同じ話を繰り返す」場合はどうだろうか。単に「話したということを覚えていない」という可能性もある。しかし、あの共演者の男性は、私に「ホンマに落語家なるんか?」と既に何回も訊いたことを丸っきり忘れていたとは思えない。回数についてはあやふやだったとしても、それ以上に、何度も訊く理由があったのではないだろうか。私は、それは「本当に訊きたかったから」なのだと思う。本人も落語家になろうと思って諦めた過去があったり、落語家になる困難さを想う気持ちがあったり、その様々な背景が重なって、訊きたくて仕方がなく、その想いが、「回数」という形で現れたに過ぎないのではないだろうか。敢えて上述の法則に照らせば「迷惑だと相手に思われてはいけない、というルール」が取り払われている、と言えるのではないだろうか。訊きたい欲求に比べたら、そんなルールなんてどうでも良くなってしまったのだろう。非常に愉快ながらも礼儀正しい人だっただけに、あの人の背景と、私が落語家になるということが合わさった時の衝撃が大きかったのだろう。
 尤も、酔っていなくても、同じ話を繰り返す人は、いる。私自身がそうだ。親や弟、先輩、友人、後輩、様々な人から、「その話三回目だよ」「その話好きだね」と言われてきた。或る時期からは、「この話はもうしてるかも」という勘がはたらくようになり、「〇〇が△△した話ってしたっけ?」と先んじて確認するようになった。「酔うといつもこの話だ」と言われる酔っ払いならともかく、素面でこのザマは申し訳ないが、言い訳をするなら「その話がとにかくしたい」のである。
 細かく(うるさく)見るなら、状況説明などをする際、多くの人は、同じ話を繰り返している。順序立てられ、過不足の無いように組み立てられた、芸人や司会者のような説明は、誰にでも出来るわけではない。断片的なピースを並べて話そうとすると、重複が発生する。例えば、七つのピースがあるとするならば、「②→①→③→⑥→④→⑤→⑥→⑦」のような順番で話すことになり、⑥が重複する。これを「話が下手」と言い切ってしまうことも出来るのかも知れないが、私は或る頃から「⑥がとにかく言いたいんだな」と思うようになった。一番言いたいことを一度しか言わなくても十分伝わるように整理して話すに越したことは無いが、素朴な頑張りとしての繰り返しにも、会話の中では大きな意義があると思う。
 寄席芸人についても、少し関連付けて言えることがあるだろう。大半の芸人は、寄席で演じるネタは十前後、多くて二十程度に絞っている。時期によってマイブームがあったり、季節ネタを仕込んでいたり、稽古したいネタがあって演じてみることもあるが、それでも数は限られる。寄席通いをしている人なら、「いつもあの人はこのネタだな」と思うこともしばしばあるだろう。色物の先生となると、ネタの種類は更に少なくなり、ほぼ毎日同じネタ、という人もいる。当然、客席の空気や前後の流れで演じ方に微々たる差を付けるわけで、そこにプロの技があるわけだが、「同じ話をしている」という事実は動かない。何故同じ話を繰り返すのか。何度も繰り返すようだが、話したいからだ。ウケるから、楽しいから、好きだから、理由はともかく、話したいのだ。話したいからこそ、飽きずに出来る、生き生きしている、聴いていて面白い。『男はつらいよ』シリーズが「マンネリだ」と批判を受け始めた頃の山田洋二監督から「同じ噺を演じて、飽きませんか」と訊かれた柳家小さん師匠は「演ってる側が飽きたらオシマイだ」と答えたらしい。その人の心の赴く所に正直に語る、それが繰り返しであったとしても、生き生きしているのであれば、それで良いのではないか。
 尤も「何度も同じ話をさせる人」というのもいる。同じエピソードを引き出すのなら自分で喋れば良いし、同じ質問を繰り返しているのであれば、ただの迷惑だ。「同じ話をさせられる」のは、たとえそれが好きなエピソードだとしても、語る楽しさは半減するだろう。
 「あの人、いつも同じこと言ってるな」と言う意見(皮肉、批判)は良く聞くが、そう言っている当人も、誰かからそう思われているかも知れない。人は同じ話を繰り返しても別に構わないと、私は思う。何を繰り返しているか、そこから、その人のこだわりや背景に想いを馳せるのも楽しみになるかも知れないし、そこから何かが生まれるかも知れないから。

この話は、またどこかで。

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