最近の記事

ちょっとだけ帰りたい日々

 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というと、高三の三月上旬を思い出す。受験も一通り終わって、後は合格発表だけ、という、一番何をして良いのか分からない時期に、NHK-BSか何かで、三部作が一挙放送された。することも無いので、一人でぶっ通しで観ていた。  折しもその日、高校の同級生(仮にAとする)が、ネット(当時は大半が2ちゃんねる、少しTwitter)で、あらぬ疑いを掛けられて炎上していた。同級生と言っても、クラスも同じになったことはないし、話したことも三年間で数回程度だった

    • 古畑任三郎・個人的オススメ回

      中学生の頃、毎晩レンタルの古畑を二、三話ずつ見て、最近改めてチョコチョコ見直した感覚から、個人的なオススメ回を12話選びました。敢えて順番通りにせず、オススメの順番にしました。 ①死者からの伝言(中森明菜)[第一シーズン・第1回] 全てはここから始まった。実は時系列的には一番最初の事件ではないのだけれども、その後もしばしば言及される、古畑自身にとって非常に思い入れのある犯人。謎解き要素も文句なく楽しめる。敢えてなのか、間に合わなかったのか、サントラを使わない演出も鮮やか。

      • あーら熊さん、あーら熊さん

         大学院生の頃、関西で落語をさせてもらう機会があった。打上げで、共演者の中年男性と親しくなった。その段階で噺家に入門することを決意していた私は、その共演者にその旨を話すと「ホンマに落語家なるんか?」と訊かれた。それから、二次会のカラオケまで含めて、同じことを、少なくとも30回は訊かれた。「酔っ払いは同じ話を繰り返す」という現象に人生で初めて遭遇した時であり、その後で経験したどの同じ現象よりも、印象に残っている。  「酔っ払う」とは、どんな状態だろうか。まだ自分の中でも固まった

        • 夕暮れの空

          年に何度か、空や雲がとんでもない色に染まった夕暮れ時に遭遇する。世界の終わりのような淡くも重厚な紫色が、永遠に続くと思いきや、気付く間もなく、平凡な灰色へとフェードアウトしてしまっている。崇高な自然を前にした時の、人間の無力さ・卑小さを重い知らされる、儚い一時である。 しかし、あの空の色は、本当に「紫色」なのだろうか。絵の具で描く際、何色を出せば、あの空の再現になるのだろうか。赤と青を混ぜるだけでは足りなそうだ、黄色も要るのかしら、等々と考えたが、ふと「何色」という捉え方はし

        ちょっとだけ帰りたい日々

          『ねずみ』考

           学生時代、高円寺演芸まつりでボランティアスタッフをした際、或る師匠の『ねずみ』の口演を聴いた。その際、主人公左甚五郎の言動に、矛盾のようなものを感じた。以来数年間、甚五郎ものを聴く度に、その違和感が蘇っていた。その感覚が、己の人間理解の浅薄さに由来するのか、左甚五郎という人間の一筋縄ではいかない面の顕れなのか、長らく分からずにいた。しかしここ最近、僅かながら、自分の中で納得のいく考え方が浮かんだので、備忘録代わりに記すことにする。  仙台を訪れた甚五郎は、鼠屋というボロい

          『ねずみ』考

          平成の終わりに。

           僕が大学に入ってから知り、よく聴いた音楽グループの一つが、Pizzicato Fiveだ。日本語と音楽とを美しく調和させた彼らの仕事の集大成とも言える、2000年の(実質的な)ラストアルバムに収録された明るくもメロウなナンバー『グッバイ・ベイビイ & エイメン』の終盤に、こんな歌詞がある。 Goodbye baby & amen 大好きだった20世紀  この歌詞が初めて耳に入った時、僕は軽いショックを受けた。自分でもキザだと思うが「僕は、20世紀にちゃんと別れを告げ

          平成の終わりに。

          御挨拶

           七年間(書類上は六年半)在籍した大学を、この度去ることになった。お世辞にも立派な学生・大学院生とは言えなかった僕を、丁寧に指導して下さった教職員の方々には、心から感謝している。とりわけ、僕個人の大変な不注意・不手際により多大なる御迷惑をお掛けした諸先生方、事務関係の皆様には、深いお詫びの気持ちと共に、感謝申し上げる次第である。  当研究室に所属した四年プラス一年で、分野を横断する多様性に溢れた自由な空気の中、責任と誇りを伴った専門性の高い学びに向き合えたことは、今後の人生に

          御挨拶