『ねずみ』考

 学生時代、高円寺演芸まつりでボランティアスタッフをした際、或る師匠の『ねずみ』の口演を聴いた。その際、主人公左甚五郎の言動に、矛盾のようなものを感じた。以来数年間、甚五郎ものを聴く度に、その違和感が蘇っていた。その感覚が、己の人間理解の浅薄さに由来するのか、左甚五郎という人間の一筋縄ではいかない面の顕れなのか、長らく分からずにいた。しかしここ最近、僅かながら、自分の中で納得のいく考え方が浮かんだので、備忘録代わりに記すことにする。

 仙台を訪れた甚五郎は、鼠屋というボロい宿に泊まり、困窮するに至った経緯を主人から聞かされる。それから主人は、宿帳に記すために、甚五郎に素性を尋ね、目の前の男が名人左甚五郎と知り驚く。

 「飛騨の、あの、甚五郎さん!」
 「いやいや、そう目の色を変えたり顔色を変えたりされると、かえってきまりが悪い。え?日本一、ふっふっふ、冗談言っちゃいけない。人様、日本一だのね、名人だの仰って下さるが、自分じゃそんなこと思っちゃいけません。いやまあお父つぁん、扱いが変わるとかえってこっちが気が詰まっていけない。」(三代目桂三木助の口演より)

 甚五郎、至って謙虚な物言いである。「私なんか大したもんじゃない」「名前が知れてるからって大層なおもてなしはしないでくれ」という、押しも押されもせぬ大名人になってもなお謙虚な態度は、理想とすら言える。それから甚五郎は、主人を助けるために、木彫りのネズミを創り、タライに入れて店先に展示させ、「世話になった」と言って出立する。そのタライには「左甚五郎作」と立札がしてある。これが納得いかなかったのだ。「名人扱いしないでくれ」と言いながらも、「自分の名前を出せば人が集まる」ということをちゃっかり理解し、人助けのためとは言え、それを利用する。「イヤな奴」とは思わないまでも、自信があるのかないのか分からないその言動から、「掴みづらい人間だな」とは感じてしまうのだ。

 名人は、如何にして、名人になるか。
 名人芸を持っているから名人なのだろうか。私にはそうは思えない。間違いなく名人芸を持っているのに、名が通っていない人は、各分野に山ほどいるだろう。
 勿論、名人芸を持っていた方が、名人にはなりやすい。もし貴方が、何かの分野で名人になりたかったら、名人芸を持っていた方が、持っていないよりは、なりやすいと思う。
 しかし、大半の名人は、名人芸だけで名人になったのではない。最終的に決定的だったきっかけは、理解があり、影響力がある人に見出されたことではないだろうか。その過程無くして、名人にはなれないだろう。落語の歴史で見れば、座敷で芸を聴いた大名や金持ち、夏目漱石先生、安藤鶴夫先生、京須偕充先生などが「いや、実にどうも、名人だ」とお墨付きを与えたことで、潜在的名人が、晴れて「名人」となったのだ。そして、その名誉に付随する形で、多寡はあれども、経済的な潤いも得る運びとなったのだろう。左甚五郎もまた、『竹の水仙』のように、審美眼のある大名たちに評価されているからこそ、「名人」と呼ばれ続けるのである。

 「庶民が皆で支持するから名人になるのではないか」という異論もあるかも知れない。江戸時代にもそういう要素はあったかも知れないし、Twitterのリツイートで広く知られて或る種の「名人」となるアーティストなどもいる現代では尚更そうかも知れない。しかし、今日でもまだ、知名度が飛躍的に伸びるのは、テレビや新聞で紹介されたり、Twitter社公式の「トレンド」に載ることだったりする。「人の目に付きやすい所に送り出す権限を持つ者」にハマることが無ければ、潜在的名人のまま、アングラに留まり続けるように思う。最初に「名人」のお墨付きを与えるのは、権力者やメディアなのであり、庶民の指示がどれだけ集まろうが、「名人」は生まれないのだ。

 さて、晴れて「名人」となった名人は、人々に何を与えられるだろうか。
 一言で言えば「心を豊かにする」だろう。
 反対に言えば、金は与えない。腹も満たさない。それは名人の仕事の範囲外だ。
 それで良いのだろうか。良いのだ、最初から、他人の腹を満たしてやろうと、思って、やってないのだから、そんなこと、どうってこと、ないのだ。
 だが、人々が喜んでくれていたとしても、実際的なものを何一つ与えられないことが、得も言われぬ空しさとなって名人の胸に去来する瞬間は、どこかでやってくるのではないだろうか。名人と言われれば言われるほど、その空しさは増幅するのではないだろうか。
 その空しさを吹き飛ばす名人がいた。左甚五郎だ。
 彼は、鼠屋の主人を、己の作品によって、経済的に救った。大名たちが「名人」というお墨付きを与えてくれた「左甚五郎」という名前の看板に、庶民たちは惹き付けられ、鼠屋に逗留する。その名前がないよりは、あった方が、彫り物を見る人は間違いなく多いだろう。人助けのために、利用できるものは利用してやる。優しさの実現のためのしたたかさを持つのが、名人にして人間左甚五郎なのである。

 しかし、木彫りのネズミに人々が群がったのは「左甚五郎作」という看板があったからだけではない。木彫りなのに生きているかの如く動いたからだ、それほどの、超人的な、魔術的な名人芸を、甚五郎が持っていたからだ。反対に言えば、名人の持つ空しさを吹き飛ばすには、神がかり的な名人芸を持っていなければならないのだ。

 だが、名人は、名人芸によってのみ、権力者やメディアに見出されて、「名人」になるのだろうか。これは余り大きな声では言い難いのだが、恐らく、多分、感覚的にだけど、余り責任を持って言うつもりはないけど、何となく、そうじゃない。何か、こう、ほら、コネとか、ね、そういう、何か、あるじゃん?
 まあ、いたとする、そういう、括弧が付きまくった「『〈[名人]〉』」くらいの名人が、それも一定数、いつの世も、どの分野にも。しかし彼らは、芸によって、芸一本によって、困った人々を救ったりは出来ない。せいぜい、権力者から貰った金をばら撒く程度しか出来ない。そういう「『〈[名人]〉』」でなくても、芸一筋で生きてきて、その芸が評価された名人ですら、人助けはそう簡単なことでは無いだろう。その難行を、当たり前のようにやってのける甚五郎への憧れのようなものが、『ねずみ』を含む甚五郎ものが語り継がれる一因になっているのではないか、と思うのである。

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