異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験5

5 特講 2-腹の立たない人間になる


 特講の中心は研鑽会という名の話し合いである。

 「腹の立たない人間になる」という研鑽もあった。初めに「腹を立てない人」と「腹の立たない人」はどう違うか、という研鑽があった。言葉尻のような気もするが、「腹立ちを抑えるのではなく、自然と腹が立たなくなる」ということを言いたいようだった。
 そして、どんなときに腹が立ったかを班で話し合い、次に全体で発表した。私は、図書館での事件のことを言った。

 そのときの状況を詳しく思い出して、再現するように求められる。すると、思い出して、腹も立つけれど、無力感や情けなさにも襲われて、涙ぐんでしまう。
 一人が泣き出すと、我も我も、という感じで泣き出すことも多かった。端から見ていると、異様な光景だが、自分も中にいると、妙な解放感があった。涙に酔うような感覚があった。泣くと、妙にすっきりしてハイになるということもあり、異様な高揚感に包まれていた。小さい子の親が多く、これまで子どもに当たって悪いことをしたと言っては泣く。一種懺悔大会のようでもあった。
 他人につられて泣くと言うより、みんな、泣きたくて来ていたのだろう。1週間もの間、家を空けるなり、仕事を休むというのは、相当の決意がないとできないだろう。それだけ日常生活に疲れ、問題を抱え、何とかしてそれを解決したいという人達が、すがるような思いでやって来ていたのだ。
 だから、同じような境遇の人の話を聞き、自分も話すことで、だんだんと精神的に無防備な状態になり、誰かが泣き出すのを待っていたかのように泣き出すのだ。私もとてもナイーブで感傷的な気分になり、夕陽を見ただけで涙が出るような状態になった。

 「なんで腹が立つのか」と、何回も問われる。「なんで」「どうして」という言葉は、疑問形でもあり、否定形でもある。よほどの人でないと「腹の立つ理由はないのだ」と思うようになる。
 「腹が立つことで、社会の変革につながり、世の中から差別がなくなる」と言った人もいたが、「冷静に話し合った方がいい」、「腹を立てなくても解決する」、「怒りを原動力とした革命が戦争の元になったのではないか」などとと論破されていたような気がする。
 こうして、腹が立つのがどんなに無駄で、しかも人間関係を壊す悪であるか、ということが徹底的にたたきこまれた。そうすると、さまざまなことで腹を立てていた自分が、何と心が狭く、愚かで情けない人間なのだろう、と感じられるようになってくる。

 私の場合は、特講に行く前から、腹の立つ自分を持て余して、情けなく思って、責めていた。何とかしたいと思いつつ、また同じことを繰り返しては落ち込んでしまっていた。
 でも、かといって、腹の立たない人間になれるとは思えなかった。考えれば考えるほどわからなくはなっても、「腹の立つ理由はない」という結論には至らなかった。結局、この研鑽会の最後まで「わからない」で通した。

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