異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験9

9 研鑽学校 1-生活

 そして、その年の秋には「研鑽学校」に参加した。
 「特講」は、話し合いや講義が中心だったが、「研鑽学校」は2週間で、作業が中心だった。もう、その頃になると、2週間も仕事を休むことに対して、抵抗感がなくなっていた。

 「研鑽学校」では、毎朝早く起きて、鶏舎の掃除などをした。鶏は30cm×30cm×40cmくらいの狭いケージに2羽ずつ入れられ、身動きもできないでいた。鶏舎の中には日差しも入らず、昼間でも薄暗い。ただ、においはそう感じなかった。餌は自動的に与えられ、鶏たちはまるで卵を産む機械のようである。「‘’村‘’の鶏は自然の中で育つ」というイメージとは大違いだ。
 疑問を口にすると、「それでは今までのような生き方をしたいのか」、「だから幸せになれないのだ」と言われる。何しろ、ストレスに満ちた現世から逃れたくて必死なので、多少の疑問には目をつぶることになる。
 鶏の入ったケージは高い所にあり、糞が下に落ちるようになっている。そこを掃除した。長靴を履き、作業着を着て、頭にはタオルをかけているが、頭の上から鶏糞が容赦なく降ってくる。鶏糞が直撃すると、熱いぐらいである。しかし、こびりついた鶏糞をはがすのはかなりの力仕事で、汚いなどと思う余裕もなかった。

 花壇の雑草を取ったこともある。炎天下の作業で、腰が痛くなる。でも、抜かれていく雑草が「執着」に見えて、「こうして自分の執着を一つ一つなくしていくのだ」と思っていた。
 執着があるから悩みが生まれる。私は、執着をなくして楽になりたかった。それにしても、体力があまりなくて、みんなについていけず、こんなことじゃあダメだ、と思って落ち込んでいた。しかし、「こんなことでやっていけるのだろうか」と考えること自体、‘’村‘’での生活を前提としているわけである。

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