異次元世界への旅ー私の‘’村‘’体験11

11 研鑽学校 3-参画の決意

 そして、特講から半年余りで、‘’村‘’に入ることを決意した。

 ‘’村‘’に入るとは、それまでのすべてを捨てることである。しかし、すでに現世に絶望している者には、恐いものはない。それに、「‘’村‘’に入れば生活は保障されるのだから」と思った。
 それでも、多額の財産のある人や、家屋敷のある人は抵抗があるだろうが、私には、借金もなかったが、財産もなかった。仕事も、辞めてもいいと思っていた。子どももいない。私を現世に引き止めておくものはなかった。
 ただ、当時入っていたサークルの集まりに出られなくなるのだけは、心残りだった。でも、サークルの集まりは週に1回だけだった。そのときは楽しみだったが、残りの6日間を渡りきれなかった。
 そこで癒やされても、翌日になるとまたイライラしては落ち込んで疲れる。そんなマッチポンプのような生活は、もうやめたかった。‘’村‘’に行けば、24時間生活である。それを楽しみにしていた。

 ‘’村‘’に入るのにも、研鑽がある。研鑽学校の最終日、村に入る(「参画」と呼ばれていた)ことを希望する人は一人一人呼ばれて、面接された。
 順番を待つとき、入学試験の口頭試問を受けるような気がしていた。本来なら、入りたい人達が集まってつくっていく所のはずなのに、いつの間にか、一方的に選ばれていた。そして「入れてくれなかったらどうしよう」とばかり考えていた。
 面接では、「具体的なことでは、家族もいないし、仕事も辞められそうなので問題ないが、精神的な面で、本当にやっていけるのか不安に思っている」と言った。そんなことは隠して「不正入村」することもできるだろうけれど、そうしても結局自分が苦しくなるだけだと思った。それに、「やっていけるかどうか不安だ」と言って、「大丈夫ですよ」と言ってほしかったのだと思う。

 ‘’村‘’の人には、「うまくやっていけるとは思わない。しかし、それでもいいじゃないか」と言われた。
 「‘’村‘’でも、いろいろとぶつかったり、めげたり落ち込んだり打ちひしがれたり、いざこざがあったりするだろう。そんなにスマートに人間関係をこなしていけるようにはとても思えないし、ぎくしゃくすることも多いだろう。それでもこの道で、本当の幸せや一体を求めてやっていく気があるならいいし、やがてだんだんぎくしゃくすることも少なくなっていくだろう」と言われた。
 そう言われて、ホッとした。そして、意外だった。
 その人は、「大丈夫、うまくいくよ」とも言わなかったし、かといって、「うまくいかないような人はお断りだよ」とも言わなかった。
 そして、当時の会社の仕事を持ち込んでやることもできると言われた。私は、入るのを待たれていると思って、うれしかった。

 今考えると、財産もなかったが、借金もなかったので、簡単に許可されたのだろう。年齢的にも、まだまだこき使えると思われたのかもしれない。
 それに、入村を拒否すると、やけになって何をしでかすかわからない、という恐れもあったのではないか。あまりに一心に追い求め、憑かれていただけに、冷めるのも早いと判断されたのかもしれない。決心が鈍らないうちに、後戻りできない状況に追い込んでおきたかったのではないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?