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たまにはスピリチュアルっぽいような、そうでもない話を。

絵画の話ばかりじゃなくて、たまにはエンジェル・イントゥイティブっぽい話でも。


スピリチュアル・セラピストとしての活動をする前、子どもの頃からタロット・リーダーだった頃から、


相談のトップは恋愛。ま、子どもの頃なんて、特にそうなるわよね。誰が好きとか、あの人はどう思ってるのかな?とか、そんな感じ。


どうしたら学年トップになれるかとか、そんな相談はナシ(笑)


で、大人になってからも、結構恋愛の悩みとか、大人になったら今度は結婚の悩みも出て、


夫婦の悩みも出て、しかも人にはなかなか言えない恋の悩みも出たり、最近はLGBTQな方のご相談もあったり。


悩みは尽きません。



でもね、ただハッピーなだけの関係って、実は魂としては成長がそんなにないのよ。っていうか、今世あたりで出会う人って、互いにミッション抱えて来ていること多いような。


これ恋人とか家族じゃなくて、友だちとか何かの仲間とか、そういうの全部引っくるめて「人間関係」に関わるんだけど、


ぶつかったり、喧嘩したり、そこまでじゃなくても、意見や好みが合わないとか、


まあちょいちょいあるものを、いかに受け入れ、受け入れられていくか、そういうのを乗り越えることが、実はミッションだったりして。


昨今はSNSなんかで、「氣が合わないなら即ミュート(とかブロックとか)して、合う人だけとツルめばヨロシ」みたいな空氣になっているけれど、


自分にとって心地良い=都合の良い関係だけを求めても、成長にはつながらないのよ。心地良いものを選んでいるようで、実は逃げてるだけだったりしているからね。


あ、もちろん、「本当に」言葉の通じない相手とか、最初から悪意で近づいて来た人とか、そういうのはまた別の話ね。あと毒親とか、モラハラパワハラなど、逃げなきゃダメなパターンも別の話。


出会うにはそれなりの意味があるんだと思うんだけど、ぶつかり稽古を避けてぬくぬくした関係ばかり求めると、


結局課題を残して積み上げるだけ。ちょっと氣に入らないことをされたからって、全否定してしまうのではなく、ちゃんと話し合い、修復することを面倒がらずにやると、


魂がちゃんと成長していくと思うわ。そもそも、自分だって、そうと氣づかぬまま、誰かを傷つけてしまうことだってあるじゃない?


自分のときは許されるって態度で、他者には厳しいとか、そういうのもカルマ重ねるだけよね。



さ、ぐっすり眠って、朝になったらまたぶつかり稽古していきましょう。



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