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シン・放浪戦記 第4話「黄泉」

戻橋

かれこれ1時間ほど景色を眺めていた。目の焦点は外界のどこに定めるべきかわからないまま彷徨った。空を見ても橋の下の石畳の中世の舗装路を見てもそれは変わらない。酔っているせいだろうか?これではいけない気がした。1点を凝視して黒目の眼球を小刻みに震わす。あたりの景色が余計ぼやけ、外界に向いていた意識を内省的し思考を集中させる。最初は秩序だった思考だったものが徐々に連想ゲームになり、そして解き放たれていった。

場面から場面へフェードインしてはフェードアウトしていく。親しかったが疎遠となった友人の顔が浮かんだり、嬉しさが爆発だった瞬間だったり、中学のサッカーの試合で退場になったことや、高校でマラソンを走り切ったり、会社員として働いていた時に煮詰まって困っていた不明点であったMicrosoft Exchange Server の管理ファイルのパスの設定方法を見つけたことだったり、モルディブの政府観光局のページを納品した瞬間だったり、ブラーがかった場面写真が解像度が上がると、次の場面が不透明度を上げてオーバーレイしてきた。

何時間橋の上で佇んでいていたかは分からないが、あたりは暗くなった。遠方から光が自分に向けて差し込み、北極星の形状だった白い塊は目の前に広がり、体が内から暖かくなった。じんわりとした心地よいぬくもりである。

白昼夢から覚めるとホテルをチェックアウトして、一言もしゃべらずにプラハに向かう。バスに乗り込む。30分もいたかな?と腕時計に目をやると数時間が経過していてあたりは駆け足で暗くなり始めていた。

チェスケークロムロフをでてプラハへの道すがらターボルあたりでようやく意識も完全に戻ってきた。車窓に映る辺りの景色はいつの間にか彩度があがり、輪郭がくっきりしている。プラハはだいぶにぎわっていた。自由広場の観光案内所は長蛇の列で宿のありかを聞いて「ダンケシェーン」とほほ笑むと建物は古いが小ぎれいなベッドに滑り込む。バスに揺られたせいかこの日はベヘロカもあまり進まずすぐに寝息を立てた。

余談だが、ベルリンの壁崩壊から15年が過ぎようという当時、中欧では英語は共通語とはいいがたく、ドイツ語やロシア語のほうが汎用的だったように思う。特に一定年齢以上の人と喋るときはドイツ語やロシア語のほうが圧倒的に通じた。ウクライナ人の短期ホームステイを受け入れるためにロシア語を無理矢理覚えて、ドイツ語を大学の第2外国語、中国語を高校の第2外国語として選択した自分の先見の明を心から褒めたい。

百塔

2次大戦時にドイツに早々に降伏したがゆえに中世の街並みが色濃く残るせいだろうか?すべてがクリアに見える。後に分かるが終戦期にかなり町並みは破壊されていたそうだが、この時は予備知識に乏しくどうしても早々にヒトラーに降伏した歴史事実のほうがわたくしの頭をしめていた。そしてなんなんだろうか?このうっすらとした既視感は?始めて訪れた感じがしない。が、ヨーロッパに特段興味があったわけでもないし、私立文系日本史受験のわたくしにはあまり心当たりがない。むしろ何も知らないから来てみたというのが正しいほどに無知だ。ガイドブックで仕入れた知識のほかに手持ちの知識があろうはずもない変な確信だけがある。妙な既視感にややとまどいながらも美しいという一言に尽きる街並みが否応なく私を高揚させる。この高鳴りで自分を無理矢理納得させる。

プラハは見どころが多い。ピルスナーを飲み終えると、時計塔をみて、ほろ酔いでアルコール依存症を悪魔の所業ではなく病気として扱ってくれたヤンフスに挨拶をして、プラハ城へ足を延ばすそうと歩き出す。カレル橋をわたりいよいよ「なんか知っているなぁ、この風景」という感想を強くする。答えはその場では結局わからず、7か月後に分かった。イスタンブールの安宿で二日酔いにこの世のあるとあらゆる呪いの言葉をぶつけながら、とあるマンガを手に取る。疑問が氷解した。答えは浦沢直樹先生の「モンスター」だった。戦慄しながら読んだあのマンガの部隊がまさにここプラハだったのだ。あの時はストーリーに夢中で国名や場所が頭に入っていなかった。

脱線ついでにプラハ関連本で印象深かったのは千野栄一先生の「ビールと古本のプラハ」だ。これは何回も読み返した。清涼剤のような本で読むと気分がよくなる不思議なエッセイ。作中に登場する「黄金の虎」でビロード革命前夜の四方山談議に思いを馳せるべく街中をさまよったが、結局場所がわからずじまいであった。心残りはなはだしいがこの本のおかげでチェコ人のビールに対する誇りやこだわりを知ることができたし、ビロード革命にも興味がわいた。電子書籍の時代になってだいぶ持っていた本は捨てたが、この本だけは白水Uブックスがなくなったためか一向に電子書籍化されない。そのため、四半世紀が過ぎようとする現在でも、6回の引っ越しを生き残り手元に残してある。

このころは旅の大目標を持つのはやめようという決心は変わらないままだったが、よくわからない謎ルールを自分の旅に課していた。電車禁止、バスOK、動いたら最低3日滞在というがそれだ。ゆえにプラハにも3日程度はいた。さすがに全部見るべきところは見切ったし飽きてきたので次の町へと向かう。

第5話へ続く


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