自信の話。

作成年月日:2020/8/24



久しぶりにブログを書きます。私がブログを書くのは基本的に得体の知れない悩みが悶々としているときに自分の思考を言語化して、「ああ、この時はこんなことを考えていたんだな〜」と振り返れるようにするためです。今回もそんな感じです。


早速ですが、私は恐ろしく自己肯定感が低いです。自分のことは顔は醜悪だし、性格もひどく歪んでいるし、親しい仲の友人も交際相手もいない、ゴミ以下の存在としか思えません。(でもこういうことを人前で言うと余計に気持ち悪がられるのでなるべく言わないようにしています。)


どうしてこんな捻くれた、拗らせた考え方を持つようになってしまったかについては、これまで長い時間考えてきました。というわけで、今から自分語りを始めます。自己分析といった方がいいかもしれません。


※この記事は自分のパーソナリティ形成の原因と考えられるものを挙げていくだけで、誰かを悪いと責め立てるものではありません。そもそも私は私のパーソナリティ形成に関して誰も悪いとは思っていませんし、私のパーソナリティ自体を悪いものだとも思っていません。それでは、自分語りでも始めましょうか。


一つには、父親の存在があります。


私の父は普段は温厚で、母の帰りが遅い時は料理も洗濯もするし、休日は私や弟のいきたいところに車で連れてってくれるようないい父です。ただ、自分の少しでも気に入らない、思い通りにならないことがあると結構強く怒る節があります。これが、幼少の私にとっては大きな脅威で、何をするにつけても父から怒られる恐怖を避けるように行動するようになりました。


結果として、自主的に行動するようなことが極端に少なくなったように思います。また、目上の人から怒られることが極端に怖くなってしまいました。些細な注意を受けることにおいてすら、自分の全てを否定されているような感覚に陥るようになりました。命じられたことが少しでもできないことが怖くなって、極端に完璧主義になってしまいました。


ただ、もう一度断っておきますが、私は別に「私がこんなに自己肯定感が低くなってしまったのは父のせいだ」などとは思っていません。私はただ、自分のパーソナリティの形成の一因として幼少期の父との関係性が挙げられるだろうと言いたいだけで、そこは勘違いしないでほしいです。


二つには、小学校という環境や、そこでの経験にあります。


私は公立の小学校出身です。10年ほど前の公立小学校なんて、基本的に多様な家庭環境を背景にした子どもたちが混在していますから、まだまだ小学生の間にはゴリゴリに既存のジェンダー規範やルッキズムがはびこっていて、男子は顔が良くてスポーツができれば女子からモテるし、女子は顔が良ければ男子に気に入られました。逆に男女限らず、性格がちょっと周りと合わない子や顔の良くない子、いわゆるブスは「ブスである」というだけで冷やかしや、ともすればいじめを受けるような環境でした。


そのような環境にあったことを前提に話を進めます。当時小学4年生だったでしょうか。私を被写体にしたある1枚の写真がきっかけで、私は私をブサイクとも形容し難い、気持ち悪い存在だと思うようになりました。


当時の私が思いついた言葉を借りるなら、そこに写っていた私は「顔面崩壊」していました。左の眉毛が右の眉毛より2センチほど上に位置していて、左目は右目より大きく開き、顎は右に曲がっていました。いわゆるアシンメトリーです。


これにはきちんと理由があることは今では理解しています。生まれた時から頭の形が重心が左によるような形をしていて、寝るときの頭を向ける方向がいつも左向きだったことや、そのせいで食事の時に無意識に左側ばかりで咀嚼していた結果、顔面の左側の筋肉ばかりが発達してしまったことです。それに、多少の顔面のアシンメトリーは誰にでもあるものです。今となってはそこまで気にすることでもなかったかもしれません。


ただ、当時の私にしてみれば、自分が「顔面崩壊」していることは非常に大きな問題でありました。なぜなら、当時の環境においては「顔面崩壊≒ブサイク」は冷やかしやいじめの標的になりうるというディスアドでしかなかったからです。


それからは、私はどうにか誰からもブサイクだと、「顔面崩壊」だと思われないようにと必死でした(いずれにせよブサイクであることには変わりませんが)。


まず、顔を見られてブサイクだと思われないように、人と目を合わせるのを避けるようになりました。


結果として、どんな人であろうと顔も直視できず、目を合わせることすらできなくなりました。(内輪の話になりますが、大学の同クラ逆評定に”× 目を合わせてくれない”って書かれてあった時は本当に泣きそうなりました。私だって目を合わせたくなくて合わせてないのではないのです、、、。)


次に、「ブサイクだと思われて嫌われたらイヤだ」という理由で、女子と会話をすることに億劫になりました。


なぜ”女子”かと言えば、私はヘテロセクシャルなので、少なからず当時は「女子からモテたい」という願望がありました。しかしイケメンがチヤホヤされるのが当たり前の世界でしたから、逆にいえばブサイクは何をしても気持ち悪がられる存在なわけですから、なら気持ち悪がられないように、嫌われないように最初から関わらないでおこうという気持ちが働いたからです。


結果として、それ以後もずっと「その人が女だから」という狭小な性別規範に囚われて関係の構築に踏み出そうという気がおきません。むしろ私のような気持ち悪いブサイクと何らかの接触をもたせてしまうことにひどく申し訳なく思うほどです。


三つ目に、他人を信頼できなくなりました。


自分と仲良くしてもらっていても、「本心では私みたいなブサイクと一緒にいるのイヤだし面倒くさいと思っているんだろうなあ」などと妄想ばかりが膨らみ、他人と一緒にいることが申し訳なく思えるようになりました。「友達」についても、「私がその人を友達と思っているだけで、相手は何とも思ってないのかもしれない」という猜疑心にかられるようになりました。


結果として、誰かと仲良くしようとすることにも臆病になりました。心を開くのに積極性が失われ、交友関係を構築するのに時間がかかるようになってしまいました。私のような人間に仲良くなろうとされても、相手にとってはいい迷惑にしかならないのではないかとしか思えなくなりました。そうして、心の底から信頼できる友人というのはいなくなってしまいました。


こうして、私は自己肯定感を、というより、自信を失いました。「自分を信じる」ことに臆病になってしまいました。同時に、他者を信頼することにも臆病になってしまいました。


私はこの呪縛とずっと戦ってきました。それでも、「自分に自信を持とう」「私はブサイクだけど人はそれを嘲笑したりしない」「私は変われる」なんて言ってすぐ変われるようなものではなくなってしまいました。分かってはいるんです。世界は、他者は全然優しいんだということは、、、。


でも、ダメなんです。だってもう10年ですよ。私が私にかけた呪縛は、解かれることなく私をずっと苦しめています。


最初に「どうしてこんな捻くれた、拗らせた考え方を持つようになってしまったかについては、これまで長い時間考えてきました。」と言いました。どれくらいかというと、ざっと5年以上です。つまり、自分に向き合ってきた長さでは自分自身が一番長いわけです。自分のことは自分が一番分かっているつもりです。今さら他の誰かに助言をされたところで、(それが正論であろうと)素直に聞き入れるというのは難しい。ただでさえ他者をそう簡単に信頼できないんですから、、、。


私ももっと、他者と気軽に打ち解けて、適当なことを話して意気投合したり、みんなで協力して何かを成し遂げて盛り上がったりしてみたかったです。でも、それももう無理な話でしょう。


私は、私の呪縛とともに生きていこうと思うようになりました。幸い、私の呪縛に抗って、多少親密な関係を築けていると言ってもいい友人関係もあります(もちろん相手がどう思っているかは定かではありませんが)。


こうしたほんの少しの関係を大切にしながら、今日も生きながらえています。

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