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日本が明治維新を経て成長したのは「ムラ社会」があったから?

前回の続きです。

最近はあまり話題に上らなくなりましたが、日本がアジアの中で唯一、19世紀のうちに「明治維新」という政体転換を経て近代工業国家入りを果たしたことをもって「日本スゴイ」論を展開する論説を一時期よく見かけました。

江戸時代から識字率が高かった日本スゴイ
田舎の庄屋レベルで高度な数学(和算)が広まっていた日本スゴイ
江戸は当時世界最大の都市だったので日本スゴイ
リサイクルの仕組みがあるサステナブル社会だった日本スゴイ
一度も植民地にならなかった日本スゴイ
千年続く会社がある日本スゴイ
日本の職人技術スゴイ

……等々、さすがに食傷気味になってきたのかこのところ下火ですが、TVなどでもこの手の番組がよくありましたよね。

でも考えて欲しいんですが、日本がそういう「スゴイ」国だとしたら、どうして「村八分」なんていう前時代的な習慣・意識のある「ムラの掟優先社会」がいまだに残っているんですか?

「田舎だから」じゃありません。都会でも会社や学校、業界団体といったコミュニティ単位では色濃く残ってます。

なぜでしょうか? 答はおそらく、

「ムラの掟優先社会だったからこそ、近代化を果たすことが出来た」

です。「ムラの掟」は「近代社会」と矛盾するものではなく、その前提だったと考えたほうがいい。

なぜでしょうか? おそらくこういうことです。

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AとB、2つの集団(ムラ)があるとします。1つの集団内部を統制する「掟」は不文律でも何とかなります。日常的にコミュニケーションが取れるため多少の誤解があっても誤解を修正しやすいし、基本的に同じ利害関係を持つので合意が取りやすいからです。

しかし、対外関係はそうはいきません。別な集団との間で「取り決め」を結ぶ場合はそれを文書に残しておき、後日何かの紛争が起きたら証拠として持ち出せるようにしておかなければいけません。要するに「対外関係」というのは取引であり契約なので、文書が必要なんです。

日本はこうした「小集団」が乱立し密集しがちな地理特性を持っているため、異なる利害を持つ集団の間でこの種の契約を結ぶ必要がありました。

その結果、中世から近世(室町~戦国~江戸時代)にかけて、「法治主義」が浸透し、「法律に従う文化」が形成されたのです。

参考資料として黒田基樹著「百姓から見た戦国大名」からの引用を示します(赤線部は筆者)。

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「紛争を裁定する基準を明文化し協定化したものであった。戦国大名と家中の双方がそれに拘束された」

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「検地は村の合意に基づいた、大名と村の契約であった。互いの契約であったから、その数値は大名と村の双方を拘束した」

戦国時代を通じてこうした「大名と村の契約」の体制が発達し、江戸時代にはそれが確立して260年の太平の世を生みました。これは要するに「法律」であり、「法律を守る文化」が上から下まで形成されたということです。

だから何? かというとつまり

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明文化された基準を理解し順守して行動する能力・習慣を持った人々というのは、工業生産に向いているんですよ。

というのは、産業革命から始まった「大量生産の時代」というのは、「規格品を製造する時代」でもあり、生産プロセスを確立してそれを「決まった通りに遂行する」必要がありました。

なぜ「規格品を製造する」必要があるのかといえば、鉄砲と弓矢をイメージしてもらえばわかるでしょう。

弓矢は弓も矢も個体ごとにバラツキが大きくても許容されます。戦国時代の合戦での弓矢は精密射撃ではなく「弾幕散布」のような使い方をするので、「精度が低くても、飛んでいきさえすれば役に立つ」からです。だから、弓矢の製造は「長年の経験と勘」でもなんとかなります。

それに対して鉄砲の方は、銃・玉・火薬のいずれも「個体ごとのバラツキ」が許容されません。銃身と玉のサイズが合わなかったら、火薬の品質が悪かったら、球が飛ばないだけでなく時には暴発を起こして射手を負傷させてしまいます。工業製品は規格に合った品質のものを供給しなければならないので、「手順を決めて、その通りに仕事をする」ことが必要でした。

だから、「明文化された基準を理解し順守して行動する能力・習慣を持った人々」が必要であり、それをイチから育てなくても既に育っていた幕末日本は容易に産業革命に追いつくことができた、というわけです。水田稲作というのが、農業の中では「手順を決めて、その通りに仕事をする」必要の高い形態だったこともその点で有利でした。

集団内部でも、対外的にも紛争を防止する必要があって生まれた「ムラの掟絶対優先」の組織原理は、工業化・大量生産の時代にもマッチしたため、「会社」にも引き継がれました。そして「規格品大量生産の時代」はおおむね高度成長期を過ぎて1980年代まで続いたため、そこまでの日本経済は無類の強さを誇り、バブルの栄華を極めるような展開が起きたわけです。

ところが、「規格品大量生産の時代」は既に終わりました。
いや、厳密に言えば、「規格品を大量生産するために、同じ仕事をする人間が大勢必要だった時代」は既に終わりました。

今求められているのは、「既に決まっていることをその通りに遂行する人間」ではなく、「決めなければいけないことを見つけ出して自分で決められる人間」です。

ところが、日本の社会文化や教育システムは前者のタイプ優先で作られているため、後者のタイプを育てることができていません。

これが、私が感じた「田舎の牢獄」の根底にある問題だと私は考えています。


だからね……「村八分なんて前時代的」のように馬鹿にしていてもこれは解決しないんですよ。それは必要があって生まれたシステムであり、実際に多くの人の生存保障に役立ってきたのだということは認めなきゃいけない。その上で、新たな価値観、組織原理を作っていかなければいけない、現代はそういう時代なのだと思います。


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