見出し画像

部活動の強制を拒否したら、軟弱な怠け者と言われました

小学生が行ける範囲に本屋はない

私が育った地域は本州最北県の人口5万人(当時)ほどの市の片隅です。ただし「市」といっても外れの地域で「市街地」からは遠い場所でした。すると、こういうことになります。

 小学生が歩いて行ける範囲に本屋はない
 駅はない
 図書館はない
 高校はない
 当然、大学もない
 1学年の生徒数は27人

産業はほぼ農業で、住民はほとんどがその地域で生まれ育った者ばかり。大卒者はほぼいない。この閉塞感をどう説明したらいいのかと考えると、一番ピッタリなのはこれですね。

画像1

ポケットモンスターSPECIALの「閉鎖的な田舎を表現した1ページ」が割とすごいと共感する流れ…「グズマさんかっこいい」の声も - Togetter https://togetter.com/li/1395835

私にとっては「ああ、わかるわかる」なページです。

「閉鎖的な田舎」でぐぐってもらうと、個人ブログなどでこの感覚を語っているところがたくさん見つかります。が、いくら読んでも実際に住んで(移住して)みないとなかなかリアルにはわからないだろうなとも思います。TVの旅番組などで「田舎の人々の人情に触れて癒される」みたいなストーリーが流れることがありますが、そのあたりは旅人には見えない世界ですので。

部活動を拒否するだけで軟弱な怠け者のように非難される?

1つ具体的なエピソードを挙げましょう。私が入った中学は1学年に2クラス、全校生徒が130人ぐらいしかなく、部活動は運動部が4種類(女子は3種)だけでした。しかし私はどの部にも興味がなく、他の生徒との人間関係も悪かったので入部はしたくありませんでしたが、「どれか一つ必ずやれ」と、部活を強制されました。部活というのはやって当然である、と学校側は何の疑いも持たずに言ってくるわけです。

入学当初こそ私もそれに反発することができず、ある部に入りましたが、2年生になったころにその理不尽さへの不満が限界に達し、退部を強行しました。強行と言ってもある日突然無言で行かなくなったわけではなく、学校と話をして退部を認めさせたのですが、そのときの彼らの主張はだいたいこういうものでした。

(入学時)「部活動への加入は必須です」
(退部時)「部活動は必須ではありませんが、一度自分の意思で始めたことをやめるのは半端者です。やめずに続けなさい」

「必須」→「必須ではない」と、言うことが180度変わってます。「自分の意思で始めたことだろう」という論を立てるためには「強制」だと都合が悪かったんだということがバレバレでした。

細かい経緯は不愉快なので端折りますが、退部を強行した私はまるで不道徳な行いをした怠け者であるかのように学年主任と担任教師から非難されました。単にその4つの運動部に興味がなかっただけでなぜそんな非難をされなければならないのでしょうか? でも、それが彼らの「当たり前」だったのです。運動部で汗を流して元気よく声を出すのが中学生の「当たり前」であり、それよりは家でSF小説やブルーバックスを読みふけっていたいというのは「当たり前」じゃないわけです。


趣味で物理学の本を読むのは化け物ですか?

まあ、確かに当たり前ではなかったでしょう。当時の私の愛読書は講談社ブルーバックスの物理学や宇宙科学のシリーズで、学校で習ってもいない平方根や二次方程式、極限の考え方を含む数式を読んでロマンを感じていました。授業は全然聞かず塾にも行かないのに成績は常に校内ダントツどころか模試をやると高校の学区(複数の市町村をまたぐ)内でもだいたいトップ5に入っている、というような子が1学年2クラスしかない中学にいたら、扱いに困るのは無理もないかもしれません。実際、趣味で物理の本を読んでいたら同級生に「不気味」とか「化け物」と言われたこともあります。それぐらい、理解しがたい存在だったのでしょう。

これが東京だったらそんな子を面白いと思う大人が1km四方に100人はいそうです。でも田舎にはほとんどいません。少なくとも私の周囲にはいませんでした。「子供のくせに部活もやらん、軟弱者だ」みたいなことばかり言われていました。それが「牢獄」という理由です。

そして私は周囲の人との接触を避けるようになりました。それが後に社会生活上大きな障害になるのですが、その話はいずれ書きます。


勉強できる子卑屈化社会

前川ヤスタカ氏の「勉強できる子 卑屈化社会」という本をご存じでしょうか。

https://www.amazon.co.jp/dp/4800259436/

内容紹介の最初の1文

勉強できて、すみません――なぜか「勉強できる子」に冷たい国、ニッポン。

ああ、そうそう、そのとおり・・・と、読みながら何度つぶやいたことか。この本に書かれていることはなにもかも「あるある」すぎて読むのがつらいほど。

この投稿だって、「成績は常に校内ダントツどころか学区の模試でもだいたいトップ5」というようなことを書くのは「頭がいい自慢かよ」と思われるのではないかと恐る恐る書いています。

まあ私のことはいいんですよ。それはしょせん昔のことであり、今は私のことを面白いと思ってくれる人に恵まれて仕事ができています。でも、40年前の私のように「変わり者」すぎて田舎で苦しんでいる子供が今現在も間違いなくいることは訴えておきたい。そんな子供には、身近にその存在を受け入れてくれる誰かが必要です。そんな「誰か」を自力で見つける力が、子供にはありません。特に田舎の子供にはありません。だから、気づいた誰かが助けてあげてください。

私が40年の封印を解いてこの話を書き始めた理由の1つが、それを言いたかったからなのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?