サッカー(スポーツ)の意義とは

コロナの影響でサッカーを含む様々なスポーツが世界中で中止されている中、サッカーの意義とは、大きな枠で考えるとスポーツとは何かを考える機会が格段に増えました。意義という意味は辞書で調べると、

行為、表現、物事のそれが行われ、また、存在するにふさわしいすぐれた価値

とあります。つまりこのコロナ禍の状況で、サッカー、スポーツが世の中に存在する理由は何かを考えることが重要だと思いました。ここからはサッカーをメインに存在意義を考えていきたいと思います。

生きていく上で世の中から見たサッカー(スポーツ)の価値

まず初めに、このコロナ禍でほぼ全ての国でサッカーの試合が中止になりました(やってる国もあったりするそうです)。このことはサッカー界にいる身としては相当大きなトピックであることは間違いないです。ただ、世の中的に見るとどうなのか? サッカーの試合が中止になったからといってサッカー関係者以外の誰かが生きていく上で困ったわけじゃない。サッカーが経済に打撃を与えるわけではない。世の中から見たらサッカーってちっぽけなものなんだということを感じました。他のことと比較すると、今医療従事者の方々が毎日懸命に働いてくれています。医療従事者の方々がいなかったらコロナ感染者は病院で診てもらうことができません。今この世を支えている人は医療従事者の方々です。そう考えるとサッカーって何で存在しているの?という疑問が湧きます。存在しているということは意味がある、価値があるということです。ではその価値とは何なのか、僕なりの考えを示したいと思います。

サッカーの持つ大きな価値

先程、サッカーがなくても世の中的に生きていく上で困ることはないということを述べました。ではサッカーの価値はなんでしょうか? 僕が考えるサッカー、スポーツの価値は、良くも悪くも人々を感情的にさせ、そして人生に充実感を与えるものだと思いますサッカー限定で考えると、例えばあるクラブを応援している人が週末の応援しているクラブの結果次第で翌週のテンションが変わるということはあると思います。色々な人のTwitterでの投稿を見てそれを感じたりします。勝てば翌週は気分が良いし、負ければ気分が悪くなる。そんな人生の充実感を味わうことができる。そう考えています。サッカーにはそんな影響力があると思います。またのめり込み具合、熱の大きさに比例するようにその感情は大きくなるように感じます。週末になれば当たり前のようにあった出来事が突然なくなり、そんな感情が行き場をなくす。僕はそれで十分価値があると思います。人生を豊かにする意味では価値あるものだと考えました。次にその感情が生み出されるスタジアムでのライブ感について考えたいと思います。

スタジアムにおけるライブ感とは

スタジアムにおけるライブ感と書きましたが、ライブ感とは何か?これを説明しようと思います。

ほんとうの「哲学」の話をしよう 哲学者と広告マンの対話という本から引っ張ってきたいと思います。この本は岡本さんという哲学者と深谷さんという広告マンの対話形式で進みます。その対話を少し長いですけど引用します。長い!と思ったら飛ばしてください笑

岡本 人間が情報とどう向き合うかは、時代を少し遡ると、そこに決定的な変化をもたらしたのは複製技術でした。(中略)それらの技術がない時代には、相手の発言は再生できないので、一言一句聞き逃すまいと集中するといったことがありました。ところが録音技術ができてしまえば、何度でも繰り返し聞くことができるので、人の話を聞くという行為においてわたしたち人間の関わり方は当然変わってきます。このような現象を、キットラーより一世代前のドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンは「アウラの消失」と表現しました。ベンヤミンの言うアウラとは、芸術家などが作品を創作あるいは表現したときにしか存在し得ないといった意味で、そのときかぎりあらわれる崇高さや、その一回生が消えてしまうことが複製技術の一つの大きな特徴であると言っているんです。深谷 ライブですね。ということは、コピーの普及で一回性がなくなるからこそ、その場かぎりの音楽のライブに人が集まったりするという面も指摘できますね。               岡本 はい。ですから複製技術が高度になるほど、逆に、唯一無二の体験、その場かぎりの生身の交流が大きな価値をもつようになるんだと思います。

少し長くなりましたけど、要はdaznによって手軽に何度でも(一応視聴期限はありますが期限内なら)どこでも見ることが出来るようになったサッカーにおいて、スタジアムで感じる熱量、その場かぎりの交流は物凄く大きな価値になってきているよという話です。それがスタジアムにおけるライブ感ということです。僕の考えとしては、スタジアムにわざわざ時間とお金と労力をかけて来るお客さん、サポーターの方々はそんなスタジアムでの空間が作り出す雰囲気に魅力を感じている人が多いのではないかと思います。僕もその一人です。では適当にそれっぽい写真を載せていきます。

画像1

これはシティが2連覇したシーズンのリヴァプールとの天王山の試合でサネが決めた決勝ゴールのシーンです(どうしてもシティが好きなのでシティ多めになっちゃいます)。この観客の喜び具合、凄く良いですよね。これを肌で感じることが出来るのがスタジアムだと思います。

画像2

これはシティが初めてプレミアを制覇したシーズンのユナイテッドにダブルを食らわせたコンパニの決勝点のシーンです。観客の喜び方最高ですね。様々な年齢層の人が男女問わず感情を爆発させる。最高です。

他にもバルセロナvsPSGのCLの劇的大逆転や、シティがプレミア初制覇した時のアグエロの決勝ゴールなど、画面越しに見ていても感情的になるシーンがサッカーには山ほどあります。鳥肌も立ちます。もしこれをその場で味わえたらどんな感覚なんだろうと思います。サッカーにはその力があると断言できます。

このCLリヴァプールvsバルセロナの試合終了後なんてめちゃくちゃ鳥肌立ちました。何回見ても感動します(ちなみに僕はリヴァプールはシティのライバルであまり好きではないので、リヴァプールファンは相当興奮するのではないでしょうか)。選手とサポーターのスタジアムという空間での一体感。動画で見ても伝わるものがありますが、このスタジアムの空気感はやはりそこにいることでしか味わえないと思います。もちろん、世のフットボールシーンが再開したら最初はコロナの影響を考えて無観客や人数制限などを設ける可能性があります。しかし、出来ることなら一人でも多くの人に価値あるその場かぎりの交流を楽しんでもらえたらと思います。

まとめ

なんだか何を言っているか自分でよく分かんなくなってしまいましたが笑 まとめると、生きていく上でサッカーがなくても困らないけど、人生に充実感を感じて生きる上ではサッカー、スポーツがとても大きな価値を持つということ、スタジアムにおけるライブ感はそれを増幅させるという話でした。とても長くなってしまいましたが、読んで頂きありがとうございました。

最後に僕が何十回も見たシティの初優勝時の動画を載せておくので時間があったら見てみてください。色々な観客の表情が見れて面白いです笑



引用文献:岡本祐一朗 深谷信介(2019)ほんとうの「哲学」の話をしよう 哲学者と広告マンの対話:中央公論新社:pp179〜180




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