会社を辞めるまで。(給付金貰うまでと会社に対する不信感)①

もうすぐアラサーを超えてアラフォーになろうとしている私が人生で1番頑張ったと思う出来事を記録しようと思い、ここに書きます。

今月で約4年勤めた会社を辞める事にしましたが、理由は仕事が嫌になった訳ではなく、働き方に疑問を持った為。
正社員も少なくパートも10人程度しかいない会社でのほほんとある意味マイペースでやってきましたが、ここまでマイペースになるのかと呆れてしまうほど。

面接時や入社時の書類や仕事内容、勤務詳細などを良く理解しておかないと後々自分が不利になる、と気付かされた出来事です。
(自分の記録の為でもあるので、事細かくなると思うので何回かに分けて書きます)



ちょうど去年の今頃、コロナ感染者が増え続ける中、学校や保育園幼稚園が休校休園になり保護者も休まざるを得ない状況になった。
この時は会社も事情を解っていたので「休むのは全然構わないよ」と言ってくれたので約2ヶ月自粛生活していた。

休み明けで驚いたのが、誰か知らない人が居る。しかも私以外の人とは親しく話をしている…
どうやら自粛期間中に入社した人らしい。
(私にはなんの紹介もなかった。「ああ、そういえば初めてだったね、◯◯さんだよ」と軽い紹介で終わった)

それと、小学生の子供が居るパート4人のうち、丸々休んでいたのは私ともう1人だけだったらしい。
(1人は午前中勤務なので差し支えなかったらしい。もう1人も午前中までの勤務にしてもらってたみたい)

そんな働き方があったなら言って欲しかったな…
休みたくて休んでた訳じゃないし…

でもこの時はあくまで国や県からの指示で保護者が休んでた事なので、会社側も助成金の申請をしてくれた。

会社側がしっかり必要な書類だったり学校・園からの手紙やメールが証拠になるから、と丁寧に教えてくれたし、すごく協力的だった

子供達の夏休みは僅か1週間。子供達はかわいそうだったなぁ。
仕事は、コロナなんて関係ないぜ!という位、順調というか忙しかった。社内ではトラウマ級になった中国向けの商品を作っていたから。
みんな「2度とやりたくないね」と言いながら必死になって生産したやつ。私も嫌いなやつ。集中力が切れると大変なやつ。
でも人員もその時よりも増えてるし、作業もローテーションでやれば大丈夫だった。

でも今思うとこの商品が私はネックだったと思う。
というかそう思わないと納得できない事態が起こるから。

これは中国から材料を輸入して、製造するのは日本。
そして完成品を中国に持っていく、という物でこの時は10万本生産した。
この時点では定期的にこの商品を生産する計画だったらしい。
その為に人員も増やしたし、ローテーションして誰でもどこでも作業出来るようにしたらしい。

とりあえず今回は無事に終了し、通常の生産に戻った。

この頃(〜8月頃まで)は月〜金まで、用事や当日欠勤がなければパート全員出勤していた。もちろんパート全員でやるだけの仕事もあった。

ところが9月頃になって、個人的に「この日、休んでくれない?」と上司から言われることがしばしば出てきた。私だけじゃなくてパート全員、あちらこちらで声をかけられてた。
でも「嫌です」なんて言う人は1人も居ない、みんな素直に「わかりました」「いいですよ」と了承してた。

約1ヶ月、そんな状態が続いてたので10月からはシフト制になった。「パート全員の出勤時間を均等にする為」だそう。

もちろんこれにもみんな反対するわけもなく週3日休みになっていった。

今思うとここからが地獄の始まりだったんだな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?