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雑誌『會計』の休刊と「日本型会計学」の終焉⑰雑誌『會計』の休刊と「日本型会計学」の終焉シリーズ「結び」

雑誌『會計』の休刊と「日本型会計学」の終焉シリーズ「結び」


 「3部作」(黒澤ほか1962、175頁)と呼ばれる「企業会計原則」、「監査基準」及び「原価計算基準」は、いずれも黒澤清、岩田巖、中西寅雄という会計学者が中心となって作成されました。さらに、例えば、「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策調査会速記録」が、雑誌『會計』に掲載されました(企業会計制度対策調査会1949参照)。

 また、「監査基準」については、会計基準審議会の了解のもと、その原案が日本会計研究学会に内示され(新井1999、23頁)、日本会計研究学会第9回大会で統一論題として議論されました(日本会計研究学会1950参照)。「原価計算基準」の場合、その「仮案」が日本会計研究学会第16回大会で配布され、統一論題としてその問題点が議論されました(日本会計研究学会1957参照)。このように、学会の関与というスタイルは戦後にも継承されました。

 本シリーズ「雑誌『會計』の休刊と日本会計学の終焉⑨~⑪」で紹介した商法改正の折には、雑誌『會計』や戦後刊行され始めた『企業会計』等の雑誌上に学者の会計制度整備に関する論文、座談会が盛んに掲載されました。また、日本会計研究学会でも会計制度整備に関するテーマが統一論題とされ、また個々の学者の発表も行われました。

 当時、大蔵省の諮問機関であった企業会計審議会(現在は、金融庁の諮問機関となり、会計基準の設定は企業会計基準委員会にバトンタッチされています)からは、以下のような会計原則が公表され、証券取引法による会計の整備がされに進みました。諸会計原則公表の前後には、会計雑誌や学会で、それらについて盛んに取り上げられました。

「連結財務諸表原則」

「外貨建取引等会計処理基準」

「連結キャッシュ・フロー計算書等の作成基準」

「中間連結財務諸表等の作成基準」

「税効果会計に係る会計基準」

「研究開発費等に係る会計基準」

「固定資産の減損に係る会計基準」  

 商法改正に当たっては「企業会計原則」が尊重されなければならないといっただけでは不十分という理解から、商法改正についての具体的勧告として1951年(昭和26年)に企業会計基準審議会(後の企業会計審議会)によって「商法と企業会計原則との調整に関する意見書」が公表されました。その勧告の多くは、本シリーズ「雑誌『會計』の休刊と日本会計学の終焉⑩~⑪」で紹介したように、昭和37年と昭和49年の商法改正によって商法計算規定に反映されました。

 その結果、「企業会計原則」は「セミの抜け殻」と呼ばれることになりました(新井ほか1978、24頁)。それは、近代会計制度の確立を目指した昭和会計史の終焉であり、日本型会計学の終焉の始まりでもありました。なぜなら、日本型会計学にとって、会計サイドからの商法計算規定への働きかけが重要な役割だったからです。

 2002年(平成14年)の商法改正では昭和37年改正で商法に持ち込まれた、資産評価規定や繰延資産、引当金等に関する規定が「商法施行規則」に省令委任されました。そして、さらに、会社法の制定によって具体的規制に関しては「会社計算規則」第3条を介して企業会計基準委員会が設定する「企業会計基準」に委任されることになりました。これによって「会計サイドからの商法計算規定への働きかけが重要な役割」であった日本型会計学の存在意義が一層希薄なものになりました。

 「日本型会計学の終焉」というタイトルは極端すぎますが、近代的会計規制の整備に果たしてきたかつてのような学会の役割は終わり、来年3月の雑誌『會計』の休刊は、そのことを象徴するように思えてなりません。

 以上で、雑誌『會計』の休刊と「日本型会計学」の終焉シリーズは、一応完了します。日本の会計規制近代化の歴史については、これからも別シリーズとして取り上げて行く予定です。

文献

新井清光ほか1978「〈座談会〉企業会計制度の基盤」『企業会計』第30巻第
 12号。
新井益太郎1999『会計士監査制度史序説 』中央経済社。
企業会計制度対策調査会1949「企業会計原則設定に関する企業会計制度対策
 調査会速記録(2))」『會計』第56巻第5号。
日本会計研究学会1950「〈円卓討論〉監査基準」『會計』第58巻第2号。――――1957「〈円卓討論〉原価計算基準仮案をめぐって(1)(2)」『會計』第
 72巻第4,5号。

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