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フランクフルト(ドイツ)<旅日記第44回 Nov.1995>

「もしもあなたが、ドイツにいられる日が2日なら、ベルリンかミュンヘンのどちらかで2日間過ごすようにしてください。もし1週間あるならベルリンとミュンヘン、それにドレスデンかバンベルクを加えてはどうですかーー。そして、2週間、1か月、2か月あるのなら・・・」。

2か月ドイツに居ることができてもフランクフルトは・・・

 旅のあいだバイブル代わりに使った英語版の旅のガイドブック『ロンリープラネット』にはこんなお役立ち情報がサジェスチョンされている。けれど、わたしが訪れたフランクフルトは、2か月ドイツに滞在する人ですらオススメ対象にはなってなかった。

 ほんとうは、オーストリア国境のドイツ南部から入り、ドイツのビールまつり「オクトーバー・フェスティバル」で有名なミュンヘンに行く予定ではあった。が、向かう途中、オーストリアのインスブルクで、不注意から愛用のキャノンの最高級一眼レフカメラを壊してしまい、修理のためキャノン・サービスセンターのあるウィーンに戻ったことから、そのまま東へ東へと進路をとり、チェコ、ポーランドの東欧世界へ。ドイツへはミュンヘンのある南ではなく、北東のポーランド国境からベルリンに入らざるを得なかった。

 そのままの成り行きでのルート設計上、ミュンヘンには行きそびれて、欧州を代表する国際金融都市・フランクフルトにやって来た。

 フランクフルトと言えば、アルプスの少女ハイジも、憂鬱に過ごした大都会だ。ここは1泊だけにしよう。真新しいビルのオフィス街があるが、フランクフルト駅から、その名も「Main River」(あくまでも英語版の『ロンリープラネット』の記載)という名の、市中心部を流れる大きな川沿いに歩いて1キロほどのユースホステルに到着するまでのあいだは銀細工の職人さんたちの小さな店が軒を連ねているのが目を引いた。歩きながら窓越しに仕事の様子をのぞけるので、ドイツのクラフトマンシップというものを堪能できたような気がする。これだけでも歩いたかいがあるというものだ。というか、フランクフルトの街についてこれ以外のことは何一つ覚えていない。

 次の日にはライン川沿いに中世のお城のある小さな街へ訪ねるローカル列車に乗ることにしよう。そのためのゲートウエイ都市としての逗留となった。

The German train system is one of the best in the world.

 「The German train system is one of the best in the world.」。ドイツの鉄道について、『ロンリープラネット』はこう書いている。

 そのうえ、国の主要部が縦型の長方形上に東西、南北にほどほどの距離を保って分散しているのでインターシティと呼ばれる特急列車で結ばれ、列車で移動するのはとても便利な国土だ。主要都市間を結ぶ大動脈だけではなく、各主要都市と小さな町や村を結ぶ毛細血管にまで便利に出来ていることを実感することがあった。

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 フランクフルト駅のインフォメーションでの案内のされ方だった。ローカル線に乗ってライン川河畔の小さな中世都市バッハラハという町に行きたいと告げると、たちまち、乗車時間と乗車場所を示すプラットホームナンバー、乗換駅への到着時間と乗り換えホームの番号。乗り換え列車の発車時間、最終目的地への到着時間が克明に書かれたカードが瞬時に印字され“発券”してくれた。なんというスムーズさだろう。ポーランドのワルシャワ中央駅で「午後11時に出る列車はない!それは23時だ!」と大声で怒鳴られた窓口の腹立たしい対応の直後だっただけに余計に気持ち良かった。

パーフェクト ドイツ!

 「さすがドイツ! パーフェクト」。

 特急列車ではない、ローカル鉄道の案内でこの状態だ。「The German train system is one of the best in the world」である。これはヨーロッパの鉄道で広く共通することだが、駅に着いてもドアは開かない。手動なのだ。取っ手をぐるっとひねってドアを開ける。一番前にドアの前に立ったときは焦ったが、ムダなエネルギーは使わないようになっている。それに冬の寒いシーズンに到着した駅で乗降客がいないのにドアが一斉に開けっ放しになれば暖房効率は悪いし寒い。

文明の利器にわざわざ人間的な部分を残してある。

そのことをドイツ人に暮らす日本人ジャーナリストに話したら、「ドイツ人は電気が苦手なの。電気は目に見えないでしょ?」と笑った。勤勉なドイツ人にもそんなお茶目なところがあるのはうれしい。

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 さて、わたしは、これからライン川の流れの向かうまま、ミュンヘンからはどんどん離れていってしまう。列車の窓辺から、山のいただきにある古城の見える川沿いの美しい風景を堪能しながら、ケルンへと行く。道中は日本人駐在員やその家族が多く暮らすデュッセルドルフや、旧西独の首都ボンに立ち寄ろうと考えている。

 ただそれにしても、鉄道網が便利すぎてか、主要都市巡りに偏りすぎてきたかもしれないなあ。旅には多少不便なことのあるほうが、旅の記憶には残りやすいものなのに。
            (1995年11月6日〜7日)

てらこや新聞128号 2015年 12月 14日

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