カメラと私 ③
わたしが、カメラを友とするようになったのは、新聞記者になってからだ。新聞社に就職して、驚いたのは、自分で写真を撮らなければならないこと。フィルム現像や印画紙への焼き付け(プリント)といった暗室作業も覚えなければならない。そのうえ、仕事道具のカメラも自分で買うとはーー。
小学生のとき、父親にねだっておもちゃのようなカメラを買ってもらったが、うまく撮れなかった。写真とはそれっきりだった。中学・高校の修学旅行などではカメラを持っている友人がいたのでもっぱら写してもらう側だった。大学生のころもそうだ。シャッターぐらいは押せるが、新聞に載せるような写真を撮らなければならないなんて、まったくの想定外だった。それに失敗したら撮ってきた写真がすべてぱあになる現像を自分でする? そんな怖いことを。失敗したら終わりじゃん。
最初就職したのが地方の新聞社だったからそうなのかと思っていたが、のちに大きいところに移ってからも同じだった。違うのは、修理費だけ社から出ることぐらいだ。ちなみに、写真部員として採用された写真記者(カメラマン)は一眼レフカメラのボディと、広角や望遠レンズなどを何本か支給されていた。
さすがに現在はそんなことはないだろうが、40年ほど昔の新聞社はそのようなものだった。
それで初めて取材に出て撮った写真は見事に失敗だった。寅さん映画について研究した成果を一冊の本にまとめた高校の国語の先生の取材だったが、明るいところを背に撮ったほうがよいだろうと教室の窓を背に撮影をし、その先生の顔は逆光で真っ黒だった。それに初月給ももらっていないのにカメラを買わされたからストロボはパスしていた。撮り直しに出掛けなければならなかった。
それでも、暗室作業は面白かった。浮かび上がってくる画像に手をかざし、明るいところや暗いところを補正できるのはなんとも楽しかった。
中古を含め、フィルムカメラは、それから、何台買っただろう。お金に困った友人に頼まれ、交換レンズがごっそり入ったカメラバッグごと買ったこともあった。そのときのカメラがキャノンのA-1だった。マニュアル式から電子制御時代に入ったキャノンの最高機種で、新品なら当時の給料の1か月分に相当するものだった。
新聞社はニコンばかりだったが、わたしはここからキャノンを使い始めた。いま修理に出しているデジカメG-12に惹かれたのもデザインがA-1と似たところがあったからだ。
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