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【地歴日記 #12】 副部長、熊谷氏について語る。

こんにちは。海城地歴研の副部長です。

早速ですが、皆さんは「熊谷直実」という人物を知っていますか?
歌舞伎好きの方なら「敦盛」などで知っているかと思いますが、平安時代末期(つまり源平合戦の時)に源氏に味方して戦った人です。

初めは平知盛につかえ、源頼朝が最初に挙兵した時には大庭景親とともに頼朝をボコボコにしました。
ですが、その後頼朝に従い木曾義仲討伐や平氏追討で活躍しました。その中でも一ノ谷の戦いにおいて、自分の子供のような年齢の平敦盛を討ち取った話は有名です。
鎌倉時代には、仕事をサボって所領(領地)を減らされ、育ての親との相続争いに負け、晩年は出家しました。なんと法然(浄土宗の祖)に弟子入りし、お坊さんとしてその生涯を終えました。


さて、直実自身は割と普通(普通が何なのかわかりませんが…)の出身なので、彼の父、熊谷直貞に注目していきましょう。

そもそも桓武平氏は高望王が、「皇族から一般人になるから名字ちょーだい」と言って後一条天皇から「平」という姓を賜り「平高望」と名乗り出したことが始まりです。この平高望は桓武天皇の曾孫なので「桓武平氏」といいます。

平高望の6代後に平維方という人物が生まれ、その息子が平盛方です。平盛方は北面の武士(上皇の警護役)でしたが、罪を犯して処刑されました。
当時幼かった息子は何とか関東まで逃げ、小沢郷(現在の埼玉県)に住み着きました。この息子こそが平直貞です。彼は現地の豪族の娘に婿入りし(養子入り)初めて「熊谷」直貞と名乗り始めました。

つまり、彼が熊谷氏の始祖です。この時小沢郷を「熊谷郷」と名づけ、現在の熊谷市にもつながっています。


彼は早くして亡くなってしまいますが、子供を残しました。彼の次男が熊谷直実です。


つまり熊谷直実は平氏だけれども源氏に味方した人なんです。先見の明があったということでしょうかね。

最後に余談ですが、「鎌倉殿の13人」でお馴染みの北条氏も平氏だけど源氏とともに戦いましたね。実は先ほど書いた平維方という人の兄弟の平聖範という人が北条氏の始祖です。そのため熊谷氏と北条氏は近い関係にあるんです。


ということで熊谷直実は桓武天皇の子孫です。調べてて驚きでした。

最後に今回の内容をまとめてみました。文字読むのめんどくさい!という方はこれを見るとわかりやすいです。


上の系図は海城中高地歴研が作成