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短編小説『マスク』

時刻は12時を過ぎ、

群衆は一斉に同じ方角へと動き出す。

深夜の新宿に僕だけ取り残された気持ちになった。

僕は激しい酔いの中、街の片隅でまだうずくまっている。

「ねえ」

そんな声がした気がする。

顔を上げたら、

まるで捨て猫を哀れむ様に見つめるミズキ先輩の姿があって、

「どうして?」

と僕が言うもんだから、

先輩も

「なんで?」

と返した。

そういう人だ。

大学の同じ学部のミズキ先輩とは、

たまたま授業で知り合い、たまに喫煙所で会話するくらいの仲だ。

少なくとも先輩はそう思ってるはず。

先輩は友人たちを先に行かせ、

僕の腕を掴んで立ち上がらせ、とにかくここから連れ出してくれた。

それから僕たちは群衆の中に溶け込んだ。

頼りない足取りで階段を降りながら、

先輩の細い腕で僕はなんとか

明るいところまで辿り着いた。

「間に合うかなぁ・・・」

僕はどうでもよかった。

「君、駅どこ?」

ちょっと期待した。

「じゃあ、総武線だから。ごめんね」

そう言って

僕を置いてあなたは消えた。

改札前の店のシャッターで再びうずくまり、

知らぬ間に握っていたペットボトルの水を飲み干す。

もう二度と酒は飲まないと強く誓う。

電車に乗れなかったのか乗らなかったのか、はたまた誰かを送り届けただけなのか、事情がわからない輩たちがこの場にいる。

彼らにとったら僕はただの酔いつぶれた哀れな男でしかない。

途方にくれる僕の目の前に誰かが駆け寄ってくる。

「あー、いたいた」

「終電、いっちゃたよ」

きっと

「どうして?」

って聞いたら

「なんで?」

て返してくるに違いない。

そうゆう人だから。

「とりあえず、どっか行こうか」

僕らは”どっか”を探しながら歩くことになった。

大通りをふらふら歩きながら、

なんでこんな時にと、

酔っている自分を恨んだ。

自動販売機で水と、先輩にはコーヒーを買った。

「本来は僕が先輩を送り届けないといけないのに・・・」

「家、どこ?」

「・・・東中野です」

「じゃあ、同じ方向だね」

”どっか”から”西”に変更された。

不思議でしょうがない。

足が動いている感覚すらない。

ミズキ先輩は今僕の隣で僕のためだけの時間の中にいる。

酩酊とそんな冷静が交互に僕を襲う。

歩くのに飽きた先輩は捨てられた自転車に跨り、僕を後ろに乗せた。

「これ拾ったんだからね?尾崎豊じゃないよね?」

無抵抗の僕はまんまと共犯となった。

でも悪い気はしなかった。

この滑走路のような道をただひたすら直進した。

ミズキ先輩から漂う香水の甘い香りが夜風にふかれ僕の全身を包みこんだ。

ずっとこのままが良い。

「人を乗せて漕ぐのって難しいねぇ〜」

貧弱な先輩の脚力もあって、

安定感のない自転車は何度も僕を吐かせようとしたけど。

「先輩は何になるんですか?」

必死に漕いでる先輩の後ろから問いかけた。

「それって自分で決められるの?」

「じゃあ、何かしたい・・・夢とかあるんですか?」

「夢って、君。ドラマの台詞みたいなこと言うんだ?」

「じゃあ、就活はどうしてるんですか?」

「一体いくつ質問するの?」

「厳密にはまだ一つだけです。それにさっきから疑問文を疑問文で返してません?」

「・・・」

それからなにも返してくれなくなった。

暫くして東中野駅に着いた。

「ここで大丈夫です」

「ついでに家まで送ってくよ」

近いんで大丈夫と言っても送ってくの一点張りの先輩に僕は逆説的に折れた。

家の途中にある古いケーキ屋の前を通りかかると、

先輩は吸い込まれるように店の中を覗き込む。

「ここ美味しいですよ」

「チーズケーキある?」

「ありますよ」

「一番好きなんだよね~」

「今度おごります」

そうやって、お店を横切る度にガイドみたいに矢継ぎ早に説明して、

一瞬でも先輩を退屈させないように必死だった。

「ここは・・・郵便局です!」

「知ってるよ」

張り切り過ぎたけど。

15分程歩いて、僕の家の前にやってきた。

すっかり酔いも醒めた。

試しに「家でコーヒーでも飲みますか?」

と言おうとしたところでさっきコーヒーを奢ったことを後悔した。

酔って忘れたふりもできたけど、
断られるのが嫌でやめた。

「ちょっと休ませてよ」

「はい、どうぞ」

急な展開で驚く間もなかった。

「汚いですけど?って言うんでしょ?」

「いえ、意外と綺麗なんです」

「え~。テンプレと違うじゃん」

と茶化しながら先輩は遠慮なく家でくつろいだ。

鍋にあった昨日のカレーまで食べて。

「カレーの隠し味、なんだと思います?」

「なに?やばいもんでも入れた?」

「やばいってなんですか。愛情ですよ」

「なにそれ?」

「よくママが言ってたんです。うちのカレーが美味しいのは、よそにはない愛情が込められてるからだって」

「まあ、言うよね。ミルキーはママの味って言うし。んー、それは違うか」

「料理ってのは、自分のために作った料理よりも、誰かのために作った料理の方が美味しんです。だから、ママのカレーはいつも美味しいんです」

「君さぁ・・・ママのことママって言うんだ?」

「え?あ、いえ。僕が言いたいのは僕の愛情が・・・」

「まあ、まあ照れなくていいから。ささ!」

と、缶ビールを僕に差し出す。

「もう飲んで忘れなさい」

「いえ、飲めません」

「ああ、そっか。そうだった」

「夢になるといけねぇんで」

そう言って、僕は頭をさげる。

「なになに?」

先輩はよく分からず、ただ笑っていた。

これでいいんだ。

僕の気持ちは知られなくていい。

この日を境に先輩と積極的に会って話すようになった。

だいたいは大学の喫煙所だけど。

オススメの落語の噺をなぜか僕が話すというのが恒例になった。

落語は噺家から聞いた方が絶対良いと言ってもだ。

先輩はいつもふざけている。

愚痴も弱音も聞いたことがない。

ただ。

「就活という恐ろしい行事が、いつか君にもやってくるんだからな」

と茶化しながら僕を脅すように話す先輩の顔にはどこか切なさを感じた。


コロナという新しいウイルスが流行して、僕らの生活は一転した。

大学に行くこともなくなり、人との接触もなくなった。

マスクで息苦しい毎日が当たり前だ。

いったい、この白い布はいつまで続ければいいんだろうか。

そんな異様な世界にいるわけだけど、

僕たちは著しい変化になんとか順応していった。

先輩が食べたがってたあのケーキ屋はもうないけど。


こんな世界にもクリスマスの夜はやってくる。

寒空の下、僕は一人、

駅のホームで電車を待っている。

知ってる顔が視界に入る。

向かいのホームにスーツ姿の先輩だ。

久しぶりの再会がよりによってこんな日にと勝手に高揚した。

この勢いのまま僕は自分の感情をぶつけそうになった。

今なら言えるかも。

僕はマスクを外し先輩の名を叫んだが、

アナウンスがそれを邪魔した。

すると、

先輩の後ろから見知らぬ女性が現れ、

彼女は笑って先輩と腕を組んだ。

僕は声を失った。

そりゃそうだよ。

あんな素敵な男性に彼女がいないわけないよ。

呆然と立ち尽くす僕の前に電車が停車する。

電車が横切る直前の一瞬に先輩と目があった気がした。

僕は乗らずに電車が出るのを待った。

ほぼ同時に反対車線にも電車がやってきた。

電車は走り去り、

2つのホームの隔たりは無くなった。

無駄な祈りは文字通り無駄で、

今度こそ、

僕を置いてあなたは消えた。


何もなかったことの様に、

最初っから何もなかったんだけど。

僕はまたそっとマスクをつけた。

(終わり)


ラジオドラマ『マスク』




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