伝統工芸のような繊細な美しさを感じたオムツ交換
高校時代の話。
冬はダイエーで安売りしていた、赤や緑のラインが入った奇抜なデザインの毛糸のパンツを防寒のために履いていた。
その毛糸のパンツには、おしりの部分に大きな文字で
「POP」
と書かれていた。
当時は、今では、信じられないほどの短い丈のスカートを履いていたものだ。
友人たちとの帰り道。潮風が吹き荒れる。
事件が起こる。
突風が吹くとともに、私のスカートは姿をくらませた。
露になったのは、
「POP」
その日を境に、私のあだ名は、
「POP」
になったのは言うまでもないだろう。
その時感じた羞恥心を私は忘れられない。
羞恥心に紐づけられた思い出は残る。これほど残る記憶はないのではないか。たとえ、認知症状を持ったとしても…
…話しを、介護に移そう。
私は介護職員初任者研修の補助講師をしている時に、なかなかビッグな羞恥心を感じた。
排泄介助の講義中、実技の実演がおこなわれる。
補助講師は、その時、利用者役をすることが多い。
数十名の前で、オムツを履き、オムツを交換してもらう。
あの、何とも言えぬ感情は強烈に印象に残っている。
実演でこのような想いになるなら、実際はどれだけ強く感じるのだろう。
想像してみたが、言語化できるほどのスケール感ではなかった。
一方で、実技のモデル中、感動も味わった。
私のオムツ交換をしてくれた先生は、介護業界の超超超ベテランの女性。
オムツ交換中の、声かけ、体の使い方、手の使い方、視線…等々からビシバシと感じる強い意思。十重二十重の気遣いポイントを持ち、瞬時に最適解を導き出す。
いや、かっこよすぎる。
介助を受けてみて、あまりのストレスフリーさに驚く。
なぜか、介助されているなか、頭にイメージとして、黒の輪島塗の漆器が頭に浮かんだ。
なんて、繊細かつ上品でやさしい美しさだろう。すごく安心感を抱いた。
「私も、こんなオムツ交換ができるようになりたい!」
と決心した。
しかし、私は何度やっても、まだまだ道のりは遠いなと感じている。
排泄介助において、気にするべき点を分解してみると、例えばこんな感じになると思う。(まだまだいっぱいあるでしょう。)
それらのうち毎回1つのポイントを選び、ほんの少しでも改善できないか考えから介助をおこなう。
繰り返していくと、小さな進歩を感じられるので、単なるルーティンワークじゃなくなっていき、面白くなる。
さらに繰り返すと目に見える成果も得られる。
私が昼の訪問で、排泄介助に入った後、
利用者の家族が、いつも決まった時間の排泄介助をすっかり忘れてしまったそう。
こんな時は経験上、「ズボンやベッドまで漏れてしまっているに違いない」と思ったそう。
いざ、確認すると、
ズボンやベッドまで、全く浸透せず、上手におさまっていたそう。
「森近さんのおかげですね!」と家族が言ってくれた。
それによって、家族の貴重な時間と安心を守れたのが、嬉しかった。
なかなか、目に見える成果が出なく、自信が持てなかったので少しホッとした。
もっと、もっと、ストレスフリーな排泄介助ができるようになりたい。
がんばろう。
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