フィクションは夢でもある
”そのこと”に気づいたのは、2020年9月17日でした。
私は朗読劇、特に「藤沢朗読劇」と呼ばれる舞台が好きです。
シリーズ化されている「VOICARION」「READING HIGH」の公式ツイッターアカウントは勿論、藤沢朗読劇の音楽監督や演奏をよくされているチェリストさんのアカウントもフォローしています。
そして「藤沢朗読劇」の看板の通り、脚本、演出を手掛けている藤沢文翁氏のアカウントもフォローしていました。
何故過去形なのか。
それは、藤沢氏の方からブロックされたからです。
最初に明記しておきたいのは、私は藤沢氏のツイートにリプライをしたことはありません。
アカウント直打ちでメッセージを送ったことも、DMもしていません。
したのはいいね、RT、それに朗読劇の感想のツイートだけです。
私は感想を書くとき、良いと思った点以外にも、自分には合わなかった、面白くなかったと思ったことも書きます。
言うまでもないですが、罵詈雑言を吐く真似はしません。
しかしネガティブな内容がお嫌いな方もいらっしゃいますし、ネタバレに繋がることもありますので、ツイッター連携のサービスを使い、ワンクッション置いて、それらがOKの方のみ読んで頂くように心がけています。
今回、藤沢氏になぜブロックされたのか。理由は分かりません。
私はメインで使っているアカウント以外にも、別用途のアカウントを持っていますので、そちらからリプライ等で問うこともできます。
しかし、ブロックという”拒絶”を示した相手にそんなことはしたくありません。
なら、なぜこんなことをわざわざ書いているのか。
それはそれは藤沢文翁氏がエンターテインメントに携わる人間であること。
自分自身も手伝い程度とはいえ、類似業種をしていること。
そこから考える問題点や自分の気持ちを書きとめたくなったからです。
ツイッターでブロック機能を使う。
個人対個人ではなんら問題ありません。
私も極度に性的なものや趣味嗜好として許容しがたいもの。犯罪すれすれのアカウントはブロックしています。
ミュートだと話しかけられる可能性があるからです。
では、企業アカウントが個人をブロックする行為はどうでしょう。
例えば。あなたが大手食品会社の公式アカウントをフォローしていたとします。
私と同じようにいいね、RT、商品の感想ツイートのみであったにもかかわらず、ある日ブロックされました。
どう感じますか。
どんな気持ちになりますか。
「全然平気。何も思わない」
そういう方もいらっしゃるでしょう。
「理由が分からない。感じ悪い」
そう考える方は少なくないと思います。
企業アカウントは広報です。
たとえ直リプで「商品が悪い」「嫌い」と言われたとしてもその相手をブロックしたら、そのようなリプを直接送ってくる人は、別アカウントを作って粘着したり、そこまでしなくとも自分のアカウントで企業の悪口を言い回る可能性が高いです。
100%の賛同など得られるわけではないのですから、この場合は無視が一番です。
逆手にとって気の利いた返答をする企業アカウントもありますが、逆なでとなる可能性もあるので、そのリスク計算をしない限り、お勧めできる方法ではありません。
企業はマーケティングのためにエゴサーチもします。
当然、好意的な意見ばかり引っかかるわけではありません。
むしろそれ以外を見つけることによって、今後に活かす。それがエゴサーチの目的でもあります。
そのエゴサーチをして、好意的なツイート以外をしているアカウントをブロックし始めたら、その企業は終わりです。
向上心云々よりも先に悪い評判が広がるでしょう。
さて。
話を藤沢文翁氏に戻します。
氏のアカウントは日常のこともツイートしていました。
個人アカウントだと分類している方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、自分の職業を明確にし、あまつさえ宣伝もしている。
企業アカウントではありませんが、商業アカウントといえるでしょう。
私は以下のようなツイートに、藤沢氏からいいねをされたことがあります。
エゴサーチをしていないと目に入りません。
企業・商業アカウントからの”いいね”は、されたこと自体を話題にする方もいらっしゃいます。
自分も欲しいという気持ちから自発的広報活動をされる方もいるので、手法としては悪くないです。
良いと言い切れないのは、自分には”いいね”をしてくれないという不満も生むからです。
閑話休題。
DMやリプをしていない。にもかかわらずブロックされた。
エゴサーチの結果だというのはほぼ間違いありません。
それをされて、それを聞いて、何も感じない方が多いでしょうか?
特に藤沢文翁氏は脚本家であり、演出家です。
その作風は命や絆の尊さを問うもの、賛美するものが多いです。
最近上演されたばかりの「信長の犬」はまさにその代表格といえるものでした。
新型コロナによって演劇界は苦境に立たされています。
その中で舞台を繋げたい。その思いに応えてくれた出演者、スタッフ。そして劇場に足を運んだ、配信で繋がった観客。
その全てに感謝を述べておられました。
実は私も「信長の犬」の最終日、昼夜公演を現地で観ました。
幸いなことにそのときはブロックされていることに気づいていませんでした。
舞台の成功と演者、スタッフ、関係者のみなさんが新型コロナに罹患しないことを祈り、時間の許す限り配信を楽しんでいました。
しかし、その思いはすべて、既に拒絶されたものだったのです。
想像してください。
絆を、その尊さを熱弁し描く人間が、ツイッター上とはいえ、ブロックという断絶の行為をしていた。
今までと同じ気持ちで舞台を観られると思いますか?
私は無理です。
もし。
私が気づいたのが「信長の犬」の上演中だったとしたら。
もし。
そのことに傷つき、嘆きを拡散したとしたら。
私にも批判はくると思います。
なぜ自分の中で留めておかなかったのかと。
しかし同時に、藤沢氏にも批判は行くでしょう。
そして舞台は一人で作るものではありません。
関わった演者、スタッフ、主催。
多くの人にそれは降りかかるのです。
繰り返しになりますが、ブロックの理由は不明です。
怒りなのか、哀しみなのか、もっとの他の感情なのかすら分かりません。
しかし夢を見せる人間が、職業を明かした商業アカウントでブロックという行為をするリスクがどれだけ高いか。
考えなかったとしたらあまりにも自覚がなさ過ぎますし、考えた結果だとしたら随分と悪手を打ったと言わざるを得ません。
そしてこういう行為は一件だけするということはあまりありません。
気づいていないのか、黙っているのか分かりませんが、他にもブロックされている”観客”はいると思われます。
こちらをご覧ください。
このツイートは、他にブロックされたというツイートがあるか、検索したときの副産物です。
このツイート内容から推察すると、アカウント操作ができる関係者が、藤沢氏の目に入らないようブロックした可能性もあります。
それが事実だとしても、看板は藤沢文翁氏です。
傷がつくのは氏の名前です。
まさに悪手の以外のなにものでもありません。
ここまで読んで頂いた方の中には、なぜそこまでこだわるのか。
ブロックを返すなりして、もう観なければいいのでは?とお考えの方もいらっしゃると思います。
私が藤沢朗読劇を観始めたきっかけは、とある声優さんです。
その方の演技に心酔し、観続けているといっても過言ではありません。
もちろん物語、舞台全体としても楽しんでいます。ですが、その声優さんが出演していない作品は観ていません。
時間もお金も無限ではないからです。
その声優さんだけではなく、他にも素晴らしい演じ手さんがたくさんいらっしゃいます。
その演技を観られるなら、ツイッター上とはいえ自分を拒絶した相手にお金を払うくらい痛痒はありません。
しかし今後、藤沢文翁氏がどれだけ美しい物語を作ったとしても、私は以前のように夢中になることはできません。
どこか一歩引き、そして薄ら寒いものを感じるでしょう。
果たしてそれはエンターテインメントとして成立しているといえるのか。
自信をもって答えることは、もうできません。