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石上神宮【奈良県天理市】

奈良県には沢山行きたい神社やお寺がありますが、今回奈良県に出かけたのは、正倉院展を見る為でした。正倉院展を開催する、奈良国立博物館の近くには、大仏で有名な東大寺も、国宝阿修羅像が展示されている興福寺もあります。阿修羅像は前回は見る事ができなかったので、今回の第二の目的です。
正倉院展もとても良かったですし、興福寺の阿修羅像の造形美は素晴らしかったです。また、興福寺の不動堂は小さなお堂ですが、素晴らしい場所でした。ここは又詳しく書きますが、偶像を見て綺麗だなと思うことは有っても、神様的な存在を感じることは無かったのですが、ここの不動明王様は不動真言を唱えればキット助けてくれるのでは無いでしょうか。そんな風に思えるほど凄かったです!
さて、せっかく奈良まで来てるので、妻とどこか神社に行こうということになりました。大神神社は先日行きましたし、どこが良いかな?で興福寺の近くの神社を検索してみようということになり、妻に神社の名前を読み上げてもらって、僕が気になった神社に行くことにしました。いくつか神社の名前を読み上げてもらっているうちに、「いそのかみじんぐう」と言う名前がビリビリっとしました。そこに行こう!


石上神宮(いそのかみじんぐう)

石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。

当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。※石上神宮HPより

出ました!物部氏!僕が調べると何故か物部氏の痕跡が出てきます。それはさておき、この神宮の御祭神がとても珍しく、

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)
当神宮の主祭神で、国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」に宿られる御霊威を称えて布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)と申し上げます。
韴霊とは、古事記・日本書紀に見える国譲りの神話に登場される武甕雷神(たけみかづちのかみ)がお持ちになられていた剣です。
またその後では、神武(じんむ)天皇が初代天皇として橿原宮にて御即位されるのに際し、無事大和(奈良県)にご到着されるのをお助けになられた剣でもあります。
神武天皇は御即位された後、その御功績を称えられ、物部氏の遠祖 宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じて宮中にてお祀りされました。第10代崇神天皇の7年に勅命によって、物部氏の祖 伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が現地、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)にお遷ししてお祀りしたのが当神宮の創めです。

布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)
天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)に宿られる御霊威を称えて布留御魂大神と申し上げます。

布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)
記紀神話に見える、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国(島根県東部)で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されるのに用いられた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)に宿られる御霊威を称えて布都斯魂大神と申し上げます。※石上神宮HPより

主祭神は全て、神様では無く、剣や宝の霊威をお祀りしているのです。そして一番特筆すべきことは、皆さんもきっと写真を見れば知っていると思いますが、七支刀【国宝】が発見されているのです。

七支刀 ※石上神宮HPより

古史古伝好きの人なら、ピンとくると思いますが、ユダヤ教で祭祀に用いるメノラーだとも言われたります。

なんだここは?

興福寺からは車で10〜15分ほどの距離でした。天理教のメッカと言うことも有り、大きな建物群の間をすり抜けて走っていると石上神宮駐車場という看板が見えました。ここか、と思い車を左折させ駐車場に。
全く、前知識無く訪れましたが、車を降りた瞬間から背中がピリピリします。ここは良い!そう思いながら本殿の方へ向かいます。

鳥居前の石柱看板

茶褐色の鳥居をくぐるともう完全に神域です。もう背中のピリピリはマックスです。妻が石上神宮の由緒などを話してくれているのですが、全く頭に入ってきません。参道の横の木が変な枝の形をしています。

眷属の腰掛かな?

眷属が腰かけているのかな?などと思いながら進みます。色々な鶏が沢山放し飼いをされているのが見えました。尾長鶏、烏骨鶏、ちゃぼ、名前を知らない鶏もいました。少し鶏と遊び、いよいよ本殿へ向かいます。

境内の鶏たち

本殿参拝がヤバい!

立派な楼門が見えてきました。階段を少し上がり、楼門をくぐろうとした時でした。

楼門

何かご祈祷が始まったようです。これは歓迎されているなと感じました。拝殿前で立ち止まると、とてつもなく大きな感じがします。実際の大きさの何倍にも感じました。頭のてっぺんから押しつぶされそうです。垣間見える本殿を凝視できないほど、本殿は神々しく、どなたか神様がおられるのはもう間違いないです。
正倉院展のCMを見て行きたいな!と思ったのも、もう石上神宮に行くためだったとしか思えません。拝殿の後ろに、本殿の東には禁足地があるのですが、少しでも近づきたくて少し拝殿を回り込むと石垣が見えます。ああそこか、と思いながらもどこから禁足地か分からないので、怒られるのも嫌ですし、足元から来るビリビリした感覚だけで引き返しました。
ここも籠神社の奥宮、眞名井神社と同じように山全体が神様の住まいのような雰囲気です。そこに立派な建物(本殿)が建立されたのでそこに住まわれているといった感じでしょうか。

参道から本殿の方を拝む

御利益と考察

石上神宮は起死回生、つまりピンチな時にお参りするとその危機を切り抜けられるらしいのです。
僕は石上神宮に来てから3度目のトイレに行きました。何か悪い物でも憑いていたのか、清めてくださっているようです。
かなり日本的にも重要な神社なのは間違いないのですが、国宝の七支刀が見つかったことも有り、かなり大和朝廷よりの神宮と言うことになっています。でも、物部氏が祀っている宇摩志麻治命(うましまじのみこと)は邇芸速日命の息子となっていますが、いずれにしても大和朝廷側とは反対の出雲族(大国主系)です(注:記紀では大和朝廷側に寝返った、あるいは協力した)そして、主祭神の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)という、武甕雷神(たけみかづちのかみ)が持っていた刀とされていますが、もう一つの祭神、布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)は十種瑞宝(とくさのみずたから)という、神宝に宿っている神様です、これは籠神社に伝わる、十種神宝と同じで、邇芸速日命が天孫降臨の際に授けられた物です。つまり、邇芸速日命が物部氏が祀る、事代主と、大和、倭が入り乱れている神社と言うことです。そして、最後の御祭神である、布津斯御魂大神(ふつしみたまのおおかみ)は素戔嗚尊(すさのおのみこと)が出雲国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されるのに用いられた天十握剣(あめのとつかのつるぎ)です、邇芸速日命は素戔嗚尊と喧嘩して出雲を飛び出した神様です。あとは、長髄彦の命の何かがあれば、古代日本の一番ややこしい神武東征の役者が全て揃いますね。長髄彦は徹底的に隠されているのでここでは出てこないかもしれませんが、境内には猿田彦神社や、

猿田彦神社


天神社には、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)の二座を、七座社には、生産霊神(いくむすびのかみ・中央)・足産霊神(たるむすびのかみ・生産霊神の右)・魂留産霊神(たまつめむすびのかみ・生産霊神の左)・大宮能売神(おおみやのめのかみ・足産霊神の右)・御膳都神(みけつかみ・魂留産霊神の左)・辞代主神(ことしろぬしのかみ・右)・大直日神(おおなおびのかみ・左)の七座をお祀りしています。※石上神宮HPより
事代主もしれっと祀られています。

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