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吉備津神社と吉備津彦神社と溫羅【岡山県】 その2

吉備津神社の参拝を終え、吉備津彦神社へと車で移動します。前回も書きましたが、吉備津彦神社は、中山の鬼門の方角にあります。さてどんな、神社なのでしょうか?


吉備津彦神社

吉備津神社からは車だと5分掛かりません。山の東北側なので、吉備津神社とは真逆の明るいイメージの神社で、駐車場近くには桃太郎が出迎えてくれます。吉備津彦神社は神楽や備前刀のふるさととも言われています。御祭神は大吉備津日子命、桃太郎のモデルと言われている神様ですね。元々この場所に大吉備津日子命の住まいがあったと云われています。
ご神体は吉備中山で磐座信仰が受け継がれてきた場所であるので、大吉備津日子命が御祭神は後付けだと思われますね。実際巨石信仰の名残も中山には現存しています。

参拝

駐車場から随神門へ向かうと、日本一の大燈籠が聳えています、聳えると言う言葉がピッタリなほど大きいです!(高さ11.5m、笠石8畳)
随神門も風格のある大きな門です。この辺りから何か清々しい感じが強くなってきました。門をくぐると拝殿がみえてます。手水舎で清めて階段を登ります。神域というよりは、何か楽しい場所に来たような感覚の方が強い場所です。拝殿で参拝、いつものようなゾクゾクする感じはせず、本殿の方に回り込んでみます。この吉備津彦神社は、本殿→渡殿→祭文殿→拝殿と一直線に並んで配置されています、本殿も流造りの綺麗な本殿です。
ただ本殿が見えるところまで行っても何も感じません。
他にも色々な摂社があるので、ぐるっと回ろうとまずは左の方の赤い鳥居の方へ、鳥居をくぐっている瞬間からゾクゾク、キタッ!こっちだ!小さな祠が並んでいますが、中でも小さそうな祠の横に溫羅神社と書いてある祠が、この祠や、ここが一番ゾクゾクする。

溫羅神社

説明書きによると、溫羅は吉備の国に様々な文化をもたらし[吉備の冠者]の名を吉備津彦命に献上したとされています。と言うことは、溫羅はそれまで[吉備の冠者]と呼ばれていたということですよね。溫羅一族はやっぱり鬼では無く、文化を吉備の国にもたらした渡来人という事になるのではないでしょうか?とは言うものの、吉備津彦命と溫羅の活躍は時期が違うので、強力な一族が何年にもわたって吉備の国を統治していたということでしょうね。

靏島神社(つるしま)と亀島神社

溫羅神社の参拝を終えて、溫羅一族について考えながら、駐車場に戻っていると、神池という池があり、その中に祠があるのに気付きました。
第一駐車場に駐めたので行く時には気付かなかったのですが、興味が湧いて中州を通って行ってみることにしました。神社の名前は靏島神社と亀島神社、これで自分の中では確信しました。ツルとカメは日本人なら縁起が良いものだと片付けてしまうのかもしれませんが、僕はツルとカメと聞くと、こう思います、大和政権と争った側の紋章だと。もっというと、亀甲紋は出雲大社(大国主)、鶴紋は物部神社(にぎはやひ、鶴に乗ってやってきたといわれている)、ここで籠神社の宮司、海部氏が公開している海部氏系図(国宝)の中に、大国主の息子が邇芸速日命で、賀茂神社の御祭神と同じ神様だと書いてあるのです。つまり、大国主命と事代主命が吉備津彦神社に関係があるのではないかという謎が一つ僕の中でできました。
因みに靏島神社の御祭神は住吉三神と神功皇后、亀島神社は市杵島姫命、全然関係のない神様が御祭神になっているのですが、これが逆に違和感しか無い御祭神ですよね。
あと、なぜか、この吉備津彦神社には龍伝説が残っており、中山も元は龍王山と呼ばれていました。また、ご神木は平安杉と呼ばれる樹齢1000年を超えるご神木ですが、「大杉に龍が宿る」と言い伝えられており、大和政権とは全く関係のない龍にまつわる話しがあるのも違和感があります。
溫羅一族とは?益々岡山は面白い地域だと思いました。


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