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宍粟三社No.3【安志加茂神社】

與位神社・伊和神社と巡り宍粟3社と言いながら、地名は姫路市になりますが、天日槍、アジスキタカヒコネを追いかけてる身としては、加茂神社を外すわけにはいかないです。又距離もそれほど遠くは無いので宍粟3社としてアップさせて頂きます。
伊和神社からは車で20分程です。干支の大きな藁人形が中国自動車道から見えるので、行ったことは無くてもああ〜って気付く方もおられると思います。


別雷命

この安志加茂神社は京都の上鴨神社(賀茂別雷神社)からの分霊を奉祀したとなっています、何故この安志の地に?と思いますよね。僕的にはアジスキタカヒコネと何かしら繋がりがあるはずだと思います。
播磨国風土記では、
宗形大神奥津島比売命が伊和大神(大国主かその後継者と考えられる)の子を託賀郡(多可郡)の袁布(をふ)山で産んだ。
との記述があります。
古事記では、大国主は宗像の奥津宮の神、多紀理毘売と阿治志貴高日子根神 (迦毛大御神)、高比売、下照比売をもうけたと伝え、播磨国風土記は、宗形大神奥津島比売命と伊和大神が播磨の託賀郡(賀毛郡の北)で子をもうけた、としている。
なお、阿治志貴高日子根神は神前郡(姫路の北)の邑日野で「新次社に在して、神宮をこの野に造った」と書かれており、この地は託賀郡の西隣であり、この地で阿治志貴高日子根神が産まれた可能性がある
アジスキタカヒコネは、この賀毛郡・託賀郡・神前郡を拠点とし、後に迦毛大御神を祀る大和葛城や山城に移ったとも考えられています。
生まれは現多可郡で、袁布山というのは現西脇市黒田庄にある、前山のことだと言われています。つまりアジスキタカヒコネは西脇市で生まれたと言うことになります。これが僕がアジスキタカヒコネを求めている理由かもしれません。

弁天社から安志稲荷神社へ

駐車場に車を入れると、大きな藁の龍(干支が毎年作られます)が出迎えてくれます。結構分かりにくい場所なので気を付けてお越しください。

藁の龍


車を降りて本殿の方へ向かうのですが、ここには稲荷神社もあり、宇迦之御魂に関わりが深い僕としてはそこも外すことが出来ません。
最初に見えてくるのは、池の真ん中に太鼓橋がかかった弁天社が見えてきます。池の真ん中にある弁天社、ましてや赤い太鼓橋が架かっていると行かずにはおけないですよね。

池の中の弁天社

太鼓橋を渡り、池の真ん中にある弁天社へ、ロケーションは最高でしたがここでは何も感じず(シーン・・・)参拝を済ませて元来た太鼓橋を渡って戻りました。感覚としては、池と弁天様が合っていないでは?って感じですね。
さらに本殿の方へ進むと、順序はこちらという看板が見えてきます、安志稲荷神社です、稲荷社らしく赤い鳥居が並んでいます。ここでも稲荷橋という橋を渡って行きます。

安志稲荷神社

本殿の造りが稲荷神社っぽく無いなぁ〜と思いましたが、参拝。ここでも何も感じません(シーン・・・)摂社が左側に並んでいるのでそこにも行こうと足を向けると、ゾクゾクッこっちか!

こちらの摂社が一番感じました

直ぐ左にある稲荷社からはゾクゾクしたものを感じます、ただ宇迦之御魂の眷属的なものかどうかは分かりませんでした。

本殿へ

安志稲荷神社を後にして本殿へ向かいます。
ここにも龍が!本殿近くの小屋の屋根にも藁で造られた龍が乗っかっていました。

本殿横の藁の龍、お酒かな?口の前に置いてあります


山を削ったような場所に拝殿が見えて来ました、なにかこの場所でないといけない!ここにどうしても建てるんだという思いが伝わってくるような場所です。大きさこそそこまで大きくはありませんが、立派な拝殿です。少し左側に回り込んで本殿を覗きます。

拝殿から廊下で本殿に繋がっています

良い空気が漂っている雰囲気を感じます。本殿から少し目を左に向けると、臼が沢山並んでいます、なんだこれ?

干支の臼

興味が湧いて近づいてみると臼に干支の文字が書いて有ります。説明を読むと願い事を唱えながら、自分の干支の臼で、年齢の数叩くと願いが叶うらしいのです。基本こういうのは信じていないのですが、今までに出会ったことが無かったものなので頑張って叩きました。
気を取り直して拝殿へ、参拝を済ませて、右奥側へ、本殿を近くで見たかったからです。

右側からの本殿

やっぱり良い空気は感じますが、いつものようにゾクゾクする感じはありません。伊和神社でも出石神社でもそうだったのですが、RPGゲームでイベントクリアせずに、次の場所に行ってしまって何のアクションも起きないような感じです。やっぱり先に行くべき場所が有るのだと思いました。その場所がどこかは教えてもらえないので自分で探すしか有りません。

播磨国と加茂神社

ところで、播磨国で加茂神社と言うと安志の他に龍野市にも大きな神社があります。やっぱりアジスキタカヒコネは播磨との関わりが深いのでしょうね龍野市の加茂神社は行ったことが無いので近いうちに行きたいと思います。
播磨国には沢山の加茂神社があります、姫路にも高砂にもあるのですが、瀬戸内海から揖保川沿いに登って来たのでしょうか?(勿論生まれは西脇市だと思っていますが)
ここでふと思いました、高鴨神社には参拝しましたが、鴨三社の残り二つにはまだ行ってません。そこを先に廻ってからなのかもしれません。
まだまだアジスキタカヒコネと天日槍を追いかけるのは続いていきそうです。





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