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美保神社【島根県松江市】

記事の間がすごく空いてしまいました。
アジスキタカヒコネを求めて島根県まで来たところで止まっていましたが、再開です!島根まで来ているので当然出雲大社や須佐神社は参拝させて頂いたのですが、そこは又サラッと報告したいと思いますが、今回は初めて訪れた美保神社です!ここの御祭神は事代主神と三穂津姫命です。
事代主神は大国主命の息子神で有名ですから皆様もご存知だと思います。
もう一柱の三穂津姫命は正直僕は聞いた事がなかったので調べてみました。
ご存知の方も沢山居られるのでしょうが、大国主の后神でした!しかも事代主をお生みになったのは神屋楯比女命なのに、なぜか合祀されています。と言うか日本書紀にしか記載が無い神様ですので系譜は当てにならないのでしょう。高皇産霊尊の娘神だということでもあり、日本神話の謎は女神に本当に多いですね。


鳥取と島根の境

前日は、神魂神社(記事参照)→ 出雲大社 → 須佐神社 と巡りました、家族的にはこの日は『名探偵コナン』の青山剛昌ふるさと館に行って、鳥取砂丘という予定でしたが、朝からふと美保神社って事代主が御祭神だったよな〜と思い出し、急遽美保神社に行こうということになりました。10時にチェックアウト予定でしたが、9時にホテルを出発!
皆生温泉に泊まっていたので、ホテルからは30分ほどで到着予定、境港を過ぎて橋を渡ると島根県に入ります。不思議な県境ですね。だから境港市?
まぁそこはさておき、ずっと海を見ながらのドライブは青空も手伝って清々しくて気持ちよかったです。
島(半島)に入ってからの道は片側1車線とはいえ、お世辞にも広いとは言えない道路で、途中消防の訓練?何かの行事?分かりませんが、片側通行でホースも道を横切っているので、慎重に運転。
美保関灯台の看板、そして美保神社の看板、思ってたよりショボい(笑)ただ、この細い道を走ってる時から背中がピリピリしてきてます!ここはやっぱりすごい神社だ!と実感!美保神社への期待は高まるばかりです。

青柴垣神事

漁港のような駐車場に車を駐めます。
空は透き通るほどの青空で、何か良いことでも起こりそうな、そんな雰囲気がありました。
神社の方に向かって歩き出すと、船着き場のようなところに船が引き上げてあり、竹とかの飾り付けを皆で行っておられました。※写真撮り忘れました
何か有るのかな?と思ったものの、神社への興味の方が強くて先へ進みます!一の鳥居をくぐる前に空を見上げると下から上へ龍雲が見えます、横の細いのは飛行機雲ですが、山から(神社から)沸き上がるように真上に雲が出ていたのです。これはたどり着いたかもしれない!と感じました。

一の鳥居と龍雲(何故か横に配置される!!)


ここで、この船に飾り付けをしていたのは、青柴垣神事という神事の前日にお伺いしたらしく、その準備をされていたようです。

美保神社HPより ↓
青柴垣神事は、美保崎におられる事代主神が、父神である大国主神から国譲りの相談を受け、譲ることを進言した後、海に身を隠したという様を儀礼化し、神霊を一年に一度新たにする祭です。
お祭りは、『役人揃い』から始まります。頭人・一ノ當屋・二ノ當屋・小忌人など神事の関係者が揃い踏みして顔合わせが行われます。
3月31日夜、両當屋が拝殿で神楽を奏された後、参籠したのを見計らって「明日はお祭りはじめでござーるトーメー」のお触れが港内に響き渡ります。
4月1日よりさまざまな御供えを神事会所の御棚に供えたり装飾がなされたりと、お祭りムードが高まっていきます。
4月2日から5日にも様々な儀式が執り行われ、いよいよ前日の4月6日には、2隻の引き船が用意され、御船の四隅に黒木の柱、上に榊、大漁旗も立てられ、周囲は神紋の入った幕で覆われ注連縄が張られ、午後8時より宵祭(御供献上の儀)が行われ、4月7日青柴垣神事当日をむかえます
ここまで ↑

参拝

二の鳥居をくぐると手水舎が見えてきます、お浄めをして、階段の方へ、凜々しい狛犬が迎えてくれます。

狛犬(何故かこれも横向き)


神門が見えて、その先に拝殿が少し見えます。
神門をくぐるとメチャ大きい拝殿が、もうビリビリしてます!事代主神とアジスキタカヒコネは同一神だとも言われますが、本当にそうなのではないかな?と思わせるほどです。(神様が見えるわけでも話せるわけでも無いです)
すごく大きな拝殿にお賽銭箱があり、ここで参拝ですが、本殿まで遠い!

神門

もっと本殿に近づきたいなと思いつつも、拝殿内にずかずか上がるわけにもいかず、まずは参拝。『この後、お近くに行かせていただきます。』とお伝えして、本殿の方へ、背中のビリビリは最高潮、妻から『どんな感じなん?』と言われても『すごい!』しか言えません。

神門2


拝殿の向かって右手から本殿の方へ近づきます、やっぱり空には龍雲(これは飛行機雲かも)地面を踏む度に足の裏からゾワゾワしたものを感じます。

拝殿と本殿

ヤバい位のパワースポットです。ただ、須佐神社のように本殿の中に何か居るようには感じませんでした。ここの神域全体が凄いというか異世界というか、そんな感じです。本殿の周りを一回りして、再度拝殿へ、ひょっとして声とか聞こえたりするのでは?!と期待してのことでしたが、残念ながらそういう事はおこらず、ただ凄い氣を感じただけでした。

摂社も謎

美保神社には勿論摂社も有ります。
本殿裏には、若宮、今宮、秘社があります。若宮はもちろん事代主の子神である天日方奇日方命(あめひがたくしひがたのみこと)、今宮は太田政清霊( おおたまさきよのみたま )すみません、私は存じ上げません。。そして謎は秘社、御祭神は不明というか言えないのでは無いでしょうか?
他の摂社を見てみます

宮御前社( みやみさきしゃ )
御祭神 埴山姫命 ( はにやまひめのみこと )

合祀宮荒神社 ( みやこうじんじゃ )
御祭神 奥津比売命 ( おくつひめのみこと )
    奥津彦命  ( おくつひこのみこと )
    土之御祖神 ( つちのみおやのかみ )

合祀 船霊社  ( ふなだましゃ )
御祭神 天鳥船神 ( あめのとりふねのかみ )

合祀 稲荷社  ( いなりしゃ ) 
御祭神 倉稲魂命  ( うかのみたまのみこと )

恵美須社 ( えびすしゃ )
御祭神 事代主命  ( ことしろぬしのみこと )

そして、本殿に
大后社( きさいのやしろ )    
御祭神 神屋楯比売命 ( かむやたてにめのみこと、事代主命の母神 )
    沼河比売命  ( ぬなかわひめのみこと、美保津姫命の母神 )

合祀姫子社 ( ひめこのやしろ )
御祭神 媛踏鞴五十鈴媛命 ( ひめいたたらいすずひめのみこと、事代主命の子神 )
    五十鈴依媛命 ( いそすずよりひめのみこと、事代主命の子神 )

合祀神使社 ( かみつかひのやしろ )
御祭神 稲脊脛 ( いなせはぎのみこと、国譲りの使い神 )

です、この摂社を眺めて、不思議に思うのは御祖社が無いと言うことです。
御祖社は母神だったりもしますので、大后社がそれにあたるとも考えられますが、事代主は大国主の子神であるのでどこかに大国主命を合祀していても良い気がするのですが。。。
そこで、秘社です、御祭神は不明、ひょっとして、ここに父神が祀られていたのでは??そして大国主とは全くの別の神様だったのでは?
持論ですが、大国主と大己貴は別神だったと思っていますし、大物主とも別神だったと思っています。※諸説有りますが同一神とされていたりします
そうなると、大国主でも大己貴でも、大物主でも無い神様、例えば伊和大神が祀られていたりすると古事記的には非常に困りますよね?!そこで秘社とされた!本当は分かっているので別の神様の名前を書くわけにはいかないと、地元の人達は考えた(もちろん圧力は掛かった)、でもここは事代主の本拠、嘘を書くわけにはいかず不明とした!と言うことは考えられないでしょうか?神官の家には実は残されているとかあると面白いのになぁと考えたりします。
余談ですが、ここにも事代主=恵比寿と書いてあったりします、これも持論ですが、事代主と恵比寿様が同一神で有るはずが無いと思っています、大黒天もどちらもインドの神様で、中国に伝わった際に全て天族に分類され、大黒天や毘沙門天とともに七福神にされました、出雲大社でも大国主と大黒天が同じだと言っているガイドさんが居られましたが、あくまで一説として紹介すべきだと思いながら聞いてました。
まぁ出雲口伝では出雲族はインドから来たドラヴィダ族だと言われているのであながち外れていないのかもしれませんので、あくまで持論です。

事代主命とアジスキタカヒコネ

今回の目的というか、今の自分の主題であるアジスキタカヒコネを追い求める中で、事代主、建御名方は外せない神様です。三柱とも大国主の子神とされているからです。事代主は天の逆手という謎の動きをして消えてしまいました、アジスキタカヒコネは天稚日子の葬儀で、喪屋を切り倒して、けり破って消えました。どちらも居なくなってしまっています、建御名方は建御雷神に負けて信濃国に閉じ込められます。このエピソードを考えると建御名方は別として、事代主とアジスキタカヒコネは同じ神様だとしてもおかしくはない気がします。
ここで思い出すのは高鴨神社をハジメとする鴨三社です、「高鴨神社」「鴨都波神社」「葛木御歳神社」は御祭神は全て違うのに、何故か鴨三社と言われています、高鴨神社は阿治志貴高日子根、鴨都波神社は積羽八重事代主命、葛木御歳神社は御歳神、高鴨神社は参拝しましたが、後の2社はまだですので、近いうちに参拝に行かないとと心に誓うのでした。

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