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柏原八幡宮と五社稲荷 1【兵庫県柏原市】

今回のお話しは、神社巡りと、不思議体験が一緒になったものです。僕は宇迦之御魂(お稲荷さん)、豊受大神に非常に関わりが深いと思っています。なぜそう思っているのか、そう思うようになったのか、それはこの柏原八幡神社への参拝が深く関わっています。
コロナ禍でイベントやホテルのチラシの仕事も無くなり、HPリニューアルに伴う動画撮影(3〜4ヶ月掛かる仕事)も延期になり(そのまま今でも無いまま)、ぽっかり仕事の穴が空きました。何もしないで事務所にいても仕方がないのでYoutubeを始めました。とは言え収益化出来るようになるわけも無いのですが、不安と恐怖で何もせずにはいられなかったのです。
では、どこから撮影しようかと思った時に、妻が厄払いに行った神社である、柏原八幡宮にしようと思いました。と言うのもこの神社は、厄払いに行った時に何とも言えない感覚を感じたからでした。


あのママと行こう!

さて、柏原八幡宮に撮影に行くと言っても、僕は神社で何かしら感じる事は有ってもそれを人に説明するのは無理です。誰かそんな人居ないかな?と考えていると頭に1人浮かびました。そうです、あのママと行こう!!
早速ママに連絡すると、『行きたい!』と撮影も即OKをいただきました。
何故ママが思い浮かんだのか、勿論スピリチュアルな人をママ以外あまり知らないと言うのもあるのですが、妻の厄払いに行った際に上げた写真に(三重塔と青空の写真)何故かママは、『何か怖い』とコメントしていたのです。写真は自分で言うのも何ですが、綺麗な写真なので怖いという感情が出てくるとは少し驚いたからです。一緒に行けば何が怖かったのか分かるかもしれないのと、僕もこの神社で三重塔があるのが不思議で(勿論神仏混淆が残る神社なので不思議では無いのですが)ふと、ここの御祭神はとんでも無いパワーで、三重塔を建てないと抑えきれなかったのではないのか?とも思いました。何か禍々しい(失礼ですが)ような感覚があったからです。

神功皇后?

参拝(撮影)当日、ママを三宮まで迎えに行き、柏原八幡宮の話しをしていました。ママも神社のことを調べていたようで、神仏混淆が残る神社で、出雲族が建立したものであることに非常に興味を抱いてくれてました。ママは出雲出身なので出雲一族に親しみを感じるようです。
神社に到着し、鳥居をくぐる前に撮影機材を準備していました。ママは既に下にある摂社の表弁天社(厳島神社)にお参りに行っていました。

柏原八幡宮の一の鳥居


撮影準備も出来たので『ママ、お待たせしました、行きましょうか』と声を掛けると『凄い神社が行く前にあるのね!』と言いました。厳島神社なので、当然御祭神は市杵島姫命です、そして何故か表弁天と言う名前が付けられています。瀬織津姫や市杵島姫はよく弁天様に置き換えられているので、出雲一族が建立したのであれば、龍神、蛇伸の信仰と思われるので、ここも瀬織津姫が元は祀られていたのかもしれないですね。
いよいよ撮影しながら、坂道を登っていきます、ここはかなり急な坂道を登らないと行けません。八幡宮と言うくらいなので、勿論御祭神は応神天皇となっています(出雲族が建立した神社が応神天皇無分けないですが)。
そんな話しをしながら撮影していました。手水舎で清めてから、いよいよ参拝です。

本殿


やっぱりここの本殿にはどなたかが居られる!ビシビシと感覚が伝わってきます!丁寧な参拝を終えたママが、『良い神社ね』と嬉しそうです。『どうでしたか?何か感じましたか?』と奥の三重塔の方へ歩いて行こうとした時でした。『あっ、女神様やわ!今女の人が見えた!』と言いました。『三宮の生田神社の奥にある生田の森の神功皇后の祠と同じ女神様が居られるわ』『???』女神様ですか、僕が思っていたのとは違う答えでしたが、禍々しい感じではなく、素晴らしい女神様とのこと。となるとあの三重塔は何故建てられたのか?疑問が湧き上がりました。

もっと奥!

下に市杵島姫を祭り祠があり、猿田彦を祀る祠もあり、本殿には女神様が居られる。出雲族が建立した神社ということも考えると、ここの御祭神とされている、誉田別命(応神天皇)・息長帯比売(神功皇后)・比賣三柱命(宗像三女神)となっていますが、確実に前の二柱は出雲族とは関係が無いので、そうなると比売命と言われている宗像三女神の線が濃厚な気がします。ただ、ママがいった生田の森の神功皇后の祠と同じ神様。という言葉が引っかかります。生田神社は創建が4世紀なので神功皇后が創建されたと言われています。何か見落としているのか、それとも本当に神功皇后が居られるのか、頭の中は撮影しながらもフル回転です。

本殿奥にある三重塔


三重塔に近づき、その前にある鐘を鳴らしたいとママがいうので、ゴ〜〜ン、いい響きの鐘です。それでもまだ回答は出てこない。ママが『もっと奥に行きたい』と言うので一番奥にある八坂神社へ、参拝を済ませましたが、まだママが『もっと奥になんかある、そこに行きたい』と駄々っ子のように言います。『ここが一番奥ですよ』と言うも『いや!絶対にこの奥になんかある!』と言うので、社務所で貰った境内図を見ていると、西の奥に五社稲荷神社という神社が書いて有りました。ママに地図を見せて『ここの事ですか?』『ここよ!ここ!』とママは大興奮!正直僕は妻の厄払いの時にも全く気付いて居らず、こんな所に稲荷社があったのかと思いました。地図だけ見ると一度山を下りてから行かないと鳥居もくぐれそうに無いので、『では一度下りてからここに行きましょう』と、言って柏原八幡宮の厄払い社や住吉社などの参拝をしてから、山を下りていきました。
ぐるっと山を西側に廻り、五社稲荷がある方へ歩いて行きます、足元から背中に掛けてピリピリしてきました。なんだ?ここの方がもの凄い何かを感じるぞ、と思いながら歩いていると赤い大きな鳥居が目に入ってきます。背中がゾクゾクッ!『ここや!』思わず叫んでしまいました。ママも『やっぱり!』と言います。鳥居の前に立った僕とママはしばし呆然。ここが呼んでたんや〜

ここからいよいよ僕が稲荷社と深い縁があることになる、凄い出来事が始まります。
その話しは次回詳しくお伝えします。

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