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宇佐神宮 その2

素人考察をしながら当日を心待ちにしていました。
一泊二日の研修旅行でしたので、宇佐神宮参拝の前日は当然どんちゃん騒ぎ!二日酔いで宇佐神宮に参拝することになりました。(神様ごめんなさい)
もの凄く広い駐車場にバスが停まり、いよいよ参拝です、神宮と名が付く神社なので、境内ももの凄く広く、砂利の参道も向こうが見えないほどの距離、二日酔いの身には果てしなく見えました(笑)
表参道大鳥居をくぐり手水舎で清め上宮の方へと曲り階段を登ります、これが又キツい、宇佐鳥居をくぐっていよいよ上宮です。
二之御殿から参拝、一之御殿、三之御殿と回りましたが、ん?何も感じないなぁ、もちろん表参道大鳥居をくぐってからは何とも言えない感覚があり、やっぱり良い神社だと思っていただけにかなりショックでした。やっぱり二日酔いがいけないのかな?と思いながら消防幹部の皆とは離れて若宮神社へ、ここでも何も感じない。そのまま左手の道を下って下宮へ、ここは一番気になっていた宮でもあります。御饌は明らかに豊受の大神か宇迦之御魂が祀られているはずです。階段を一段下りる度にビリビリとしてきました。「やっぱりこっちだ」と嬉しくなりながら進みます。下宮から目が離せません。須佐神社のように何か感じることができるのか?と思いながら前面へ下宮も上宮と同じように一之御殿、二之御殿、三之御殿とあり同じ御祭神となっています。延喜によるとここで食事を作っていたとのことでしたが、やっぱりこちらの方に力を感じました。こちらも二之御殿(中央)から参拝しようと前に立った瞬間にゾワゾワっとしました。なにかがこっちを見てる!言葉こそ入って来ないものの、ジッと僕を見ている感じです。もう須佐神社で感じたものは錯覚ではなくて神社には神様がおられると確信になりました。その場を立ち去り難かったのですが、一之御殿、三之御殿も参拝した時にふと思い出したのです。伊勢神宮にお参りする際には必ず外宮に参拝し、その後内宮へ参拝に行く、という順番です。ここも同じなのでは?!と思い、先にこちらに来てからだったんだと気付いたので、二日酔いの身体に鞭を打って再度上宮へ。階段を上がる足は鉛のようで中々足が前に出ません。死にそうな思いをしながら上宮に到着、明らかに雰囲気が違う。消防幹部の皆に「又お参りするんか?」と言われながらも「さっきは酔いすぎやったのでやり直しです」と返し、二之御殿へ先ほどとは打って変わって静寂が広がります。「ああ、順番を守らないとアカンねや」とこの時に感じました。下宮ほどでは無いにせよ、やっぱりゾクゾク感に襲われます。心の中で「先ほどは申し訳ありませんでした、順番を間違えました」と謝りながら名前、住所を伝えて家族が健康で幸せに暮らせますようにと祈りました。
須佐神社から始まった感覚は青玉神社、宇佐神宮でも変わらなかったのです。ここは再訪しないと、今の状態だと広すぎなのと二日酔いでとても回りきる自信がありませんでした。絶対に九州に返ると心に誓い、スライムの海に落とされたような身体をひきづりながらバスへ戻りました。バスに戻る道すがら二礼四拝一礼の意味を考えました。僕が知っているのは出雲大社とここだけ、拝するのは神様の数?違う、二柱しか祀られていないって事は無い。では???アッと思いました、怨霊に関係があるのでは?出雲大社は言わずと知れた大国主命、天照大神に国譲りを無理談判され、子神も従ったため(色々事件はありましたが)出雲大社を建立してもらった、僕の感覚では神社よりもお墓に近いイメージの出雲大社、そうなると宇佐神宮の御祭神とされている比売大神(宗像三女神)は怨霊になるようなエピソードは無いと思います。そうなると祀られている神様は怨霊になってもおかしくない神様で、尚且つ九州、皇室との繋がりが深い神様。記紀にも登場しない宇佐神宮、これほど皇室との関わりが深いにもかかわらず、です。ではよく言われるように卑弥呼なのでしょうか?邪馬台国(魏志倭人伝では邪馬壹国やまいちこく)が大分であるならそれもありうると思いますが、個人的には違和感があります。では?
 三貴神の中で誕生以外ほとんど記紀に登場しない月読尊、これはあちこちで言われていますが、秦氏との繋がりです。秦氏が日本に降り立ったのは宇佐地区と言われています。そして弓月の民として当初は九州を基盤にしていました。月読尊は男神か女神かハッキリ分かっておらず、秦氏が一番崇拝していたと思われる宇迦之御魂(稲荷神社)は唯一神だともいわれており、天之常立神とも同一神だとも言われております。つまり宇佐神宮を創建したのも秦氏だとすると、自分達の一番の神である宇迦之御魂が御祭神なのでは、その後秦氏は深く皇室とも関わりますし、平安京遷都にも力を貸します。そこで宇迦之御魂では無く、秦氏との関係も深い八幡神社に改名して行ったのでは?と思います。くだらない考察ではありますが、少なくとも創建時期と応神天皇や神宮皇后とはズレているので当たっているかどうかは別として、自分が宇佐神宮で感じた感覚はそちらに近いと思います。つまり二礼四拝一礼はどうなるのでしょう?怨霊になるような神様では無かった、少なくとも宇佐神宮では、又振り出しに戻った感じですね。これからも色々と考えていきます。

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