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ピンクのガーベラ

人目を気にして綺麗にお化粧したり、不自由で機能性のない服を「きちんとした服」として指定されたり、男の人よりえらぶっちゃいけない、普通に男性がしたいようにすることさえできない、それを全部、「女の子なんだから」って理由でまとめられるなら、わたしは女の子になんてなりたくなかった。

女の子らしくすることで、そのステレオタイプに従ってまとめられるのが嫌だった。わたしはわたしでしかないのに、無意味なカテゴライズなんてされてたまるか、と中性的な服装を選ぶようになったり、らしさの象徴たるピンク色やふわふわのレースを避けるようになった。

誰かと付き合うときも、自分のことを「彼女」という型にはめられて異性同士セット扱いされるのも嫌だった。ただひとり、誰にも付属しない、わたしという独立した人間になりたかった。

そのうち誰かのための特別になれば、男でも女でもない独立した存在になれるのではないかと思って、自分が自分たる意味を見つけるため、誰かに認められたくていっぱいいっぱいになって、苦しくてたまらなくて、
「わたしがここにいる意味って、ほんとうに見つかるんだろうか」と途方に暮れていたとき、花束を貰った。

いちばん大切な人から、はじめて花束を貰った。

そんなことするタイプだと思わなかったのですごく驚いたし、その人のことを、わたしはずっと一方的に、圧倒的にわたしの気持ちが大きいと思っていて、同じくらいの気持ちでいて欲しいと願うことは傲慢だと思っていたから、わたしのことをどう思っているのかは、ずっとわからないままだった。

ただ、わたしにとっていちばん特別な人が、わたしに花をくれたこと

それは、わたしにとってなによりも希望だった。
このひとが時間をかけて贈り物を選んでくれたこと、花を贈るくらいに大切にされていること、かわいこぶっても何しても、この人にとっては全部わたしの一部に過ぎないのだからなんだっていいよ、と言ってくれているような気がした。

うまれてきた体も性も存在も、この人が認めてくれるなら何でもいい。
女の子らしくしなくても、ピンクもレースも否定しなくていい。

したいようにする自分も肯定していい、そう思うと、呪っていた自分をすべて許せるような気がした、許して良いように思えた。

長い呪いが解けたわたしはその晩、小さな花束を布団に持ち込んで、そっと抱いて泣いた。

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