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「視点」と「語り」――『医療マンガ大賞』アフタートークイベント

横浜市医療局の『医療マンガ大賞』受賞作品決定記念アフタートークイベントに行った。

「視点の違い」

今日のテーマは、まちがいなく、「視点の違い」だったと思う。
患者として、医療者として、患者の家族として、患者の家族である医療者として。「医療」には、さまざまな立場で、さまざまな人が関わる。関わらざるを得ない。

人が――特に、異なるバックグラウンドを持った人(患者と医療者がまさにそうだ)が関わる時、そこには、コミュニケーションのすれ違いが発生しやすい。
テレパシーのできない私たちが、他の人に考えを伝えるためにはことばが必要で、でも、ことばの使い方は人によって違っているから。
一方で――ことばを尽くせば、相手の気持ちを考えれば、例えすれ違ったとしても、解決できる。ポジティブな方向に持っていくことができる。今日あの場に集まって、丸椅子に座ってぴんと背筋を伸ばしていたひとびとは、きっと、そういう思いの持ち主であるとも思う。

「たとえば僕と君が違う星の人間だとして それをつなぐのは言葉だろう」
                 ――ろびこ『僕と君の大切な話』①

今日はマンガのイベントだったのだから、マンガからの引用を挟もう。

言葉の不完全さを知りつつ、でも、それでも、言葉を積み重ねればなんとかなる。僕はそういう思いを持っているし、これを読んでいるあなたも、きっとそうだと信じたい。

歩み寄るための「語り」

視点が違う。
これは当然だ。誰ひとりとして、他人と同じ人生を送ってきた人はいない。その人の視点はその人固有のものであり、想像することはできても、真の意味でそこに立つことはできない。
同じ物を見ていても、見え方がまったく違う。

幡野さんの「『ブラックジャック』を病気になってから読むとつらい」という感覚を、今日はじめて知った医療者は多いでしょう。

ヤンデル先生の「医療はハッピーエンドばかりじゃないよ」ということばに、改めて衝撃を受けた非医療者もいたんじゃないでしょうか。

立ち位置によって、視点が変わる。世界の見え方が変わる。

だから――これからますます、「わたしからはこう見えていますよ」という、「語り」が必要になってくる。

語りのプロ

ここで強調しておきたいことがある。
今日のイベントで登壇した方々は、全員が「語りのプロ」である。誰が何と言おうと、僕はそう思う。
だって。
100人以上の前で、登壇して、マイクを握って、ヤンデル先生の無茶ぶりをがっぷり四つに受け止めて、自分からの「見え方」を「語って」いるんですよ? 超人じゃん。
それくらいのスーパーマンたちが発することばだからこそ、傾聴され、頷かれ、そしてSNSに載せられて拡散する。こうして彼らからの「見え方」は広がっていく。

じゃあ――そうじゃない人たちの「見え方」は?

ことばにするのが得意でない人、大勢の前でしゃべるのが得意でない人の「見え方」も取り込まないと、コミュニケーションの溝は埋まらない。

でも、どうやって?

これからの「語り」

SNSの発達で、「語り」はずいぶん、身近なものになった。
ひとことふたことの短文ならTwitterで事足りるし、ちょっとしたエッセイみたいな文章を書きたければnoteを使えばよい。

それでも。

ひとりひとり違う、世界の「見え方」をきちんと取り入れ、歩み寄るためには、もっともっと「語り」のハードルを下げなければならない。
「わたしからはこう見える」と、気軽に発信できるようにしなければならない。
それこそ、このイベントレポートのように。
以前なら「面白かったなあ」で済ませていただろうものを、こうして文章に起こして、誰かに「見え方」を伝えようとしています。はずかし。
それでも、この恥ずかしさが、よりよい世界をつくることを信じて。

「語る」世界の解像度

そんなピュアな思いでキーボードを叩いているうちに、もうひとつ、打算が鎌首をもたげてきた。
マクロな視点では「誰もが自分の『見え方』を語れるようにする」一方で、ミクロな視点、自分の人生を軸に考えると、もうひとつ、「自分の『語り』スキルを向上させる」ことも必要じゃないかと思ったのだ。

「語り」の練習が必要だ――実は、僕がこの考えを抱くのは何度目かである。そう。何度目か。そのたびに挫折してきた。
理由は、まあ、同じ志を持ったことがある人なら察していただけるだろう。ネタ切れだ。
「毎日文章を書くぞ」そう思い立っても、早くて3日、もって1週間でネタ切れの悪魔がやってくる。

でも、今回の僕は違う(と信じたい)。帰り道に読んだ、朝井リョウのこの本が、素晴らしいことを教えてくれた。

ところで、おもしろいエッセイのすごいところは、だいたい2種類にわけることができる。
ひとつ。
できごと自体が面白い。
ふたつ。
できごとは平凡だけれど、切り取り方がすごい。
この『20のこと』は、どちらかというと後者なんだと思う。できごと自体は、僕が人生で経験してきたことと大差ないのだ。朝井氏が上陸できなかったと綴っている御蔵島に、僕は上陸したことがある。星がとてもきれいな島だった。

これを読んで、思った。身の回りの、ややもすれば見過ごしてしまうようなできごとをおもしろく切り取るところまで含めて、「語り」のスキルなのだ。
スキルであるならば、技能ならば、きっと、努力すれば獲得できる。
そのためには、たくさん読んで、たくさん書かなければいけないのだろうけど。
とにかく、練習してみようかなあ、と。

僕のもやっとした考えをことばの紙飛行機に乗せて、狙った人のところにしっかりと届けられるようになりたい。
今日のこの文章は、そんな、何度目かの所信表明です。

画面の前のあなたへ

以上が、今日の僕から見えているものです。
この文章を読んでくださった方。ありがとうございます。

あなたの場所からの「見え方」も、ぜひ教えてください!

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