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知性の基盤

ぷろおごサロンというところに入った。
名前からして怪しい(そもそも”サロン"ってネーミングがもう)けれど、たかだか月額700円だ。毎月文庫本1冊を買うと思えば大した金額じゃない。

本がね、面白かったんですよ。
『嫌なこと、全部やめても生きられる』。

あとがきのカミングアウトでちょっとずっこけて拗ねてしばらく様子見してたけど、これは意地を張ってる方が損かもなって思ってnoteの購読をはじめました。

で。このサロン。
ぷろおご氏がnoteを書くたびに、中で感想の言い合いがはじまるんですよ。すごいよね。いいサイクルだと思う。
この環境だったらアウトプットの練習もはかどりそうだなあって思って、ぷろおご氏が文章を書くたびに、それをタネにして何かしらの文章を書いてみることにしました。
うまいこと言おうなんてまだ思えないけれど。とりあえず自分の考えを形にすることの訓練をします。僕は言葉にしないと思考がまとまらないタイプの人なので。

今日はこれ。

知性とは「あらゆる苦痛と、あらゆる退屈を殺す力」

知性は「ある」「ない」の二元論じゃなくて、「大きい」「小さい」の量として語るべきなんじゃないかとは若干思ったけれど、とにかくそういうことだ。
知性のある人ほど、苦痛をカットできて、退屈に強い。

僕はアベレージラインよりはだいぶ知性の"ある"方の人間だと思う。何かわからないことがあったら、まずGoogleで検索して、それなりに信用のおけるソースを見つけて、文章を読んでそれについて自分の中で解釈することができる。活字にもひるまず、必要ならある分野に関する本を手当たり次第にぱらぱら見て、自分に合っていそうな本を見つけ出すこともできる。

じゃあこの能力がどこに身についたのかというと、たぶん、幼少期の教育だ。いや、幼少期だけじゃなく、現在進行形かもしれないけど。
でも現在進行形で自分を教育し続けられているのは、結局、小さいころに「自分で自分を教育する方法」(ex. 文章の読み方)をきちんと躾られたからであって、これがなければ、今でも僕は魚を口に入れてもらうだけだったかもしれない。


じゃあ、この「魚の捕り方」という"魚"を身につけるためには――あるいは身につけなおすには、どうすればいいのだろうか?

ひとつのアプローチが、今、サロンで計画進行中の「妖怪小学校」なのかもしれない。
個人的な経験では、幼稚園や小学校の質の高い教育というのは、かなりその後の人生の基盤になってくる。知識や経験を積み重ねる土台・基礎の部分は、小学校までで構築されたといっても過言ではない。
これが、小学生までのあの異常な脳の可塑性によるものなのか、あるいは幼稚園・小学校の教育法に秘密があり、凝り固まった大人の脳でもそのような教育をちゃんと受け入れれば知性を積み重ねる基盤ができるのか、それはわからないけど。これからの動きとフィードバックに期待です。



……これ、いかにも、自分が"デキる人"だよってアピールしてるみたいで嫌になるなあ。書いちゃったからそのまま出すけど。


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