正しい判断のために

 「ああすればよかった」という類の反省をするとき、論理的な思考はあまり役に立たない。少なくとも万能ではない。「確かに、そうしていればうまくいった」と言えたとして、それが唯一の答えかはわからないからである。いくつか思いついた中から最適なものを探すしかない。重要なのは、従うべき理論がなく、"全容"が明らかになっていない状況では、このような方法での判断しかできないということである。(どんな状況でも純粋に論理的に唯一の正解を導けるだろうと思われるかもしれないが、ここではあくまで現実的に無理という状況を考えている)
 一方で論理的な思考によって唯一の答えを出せる場面もある。例えばニュートン力学にしたがって運動を解く、といった場面がこれにあたる。このような場合でも創意工夫が要求される可能性はあるが、するべきことは明確で、答えが正しいことも確かめられる点で、迷いは少ない。
 では理論が不在の状況ではどうすればいいのだろうか。勘のいい読者は気付かれただろうが、これはバロラントの話である。
 バロラントでは「ああすればよかった」という類の反省しか実現できない。もう少し具体的に考えよう。バロラントで反省をすることになるのは通常、負けたとき(撃ち負けたとき、ラウンド落としたとき、最終的に試合に負けたとき)である。このとき、プレイヤーは実際に自分が取った行動とは違う行動をとっていたらどうなっていたかを想像し、その結果が現実より良いものであれば、「そうすればよかった」と結論付けることになる。興味深いことに、この反省の内容はプレイヤーのレベルごとに異なる。例えば初心者は「エイムが良ければ勝っていた」と考えることが多い。ここで注意したいのは、それは別に間違っていないということである。実際、エイムが十分良ければ勝てるゲームである。ところが、上級者になるほど反省の仕方が異なってくる。第一に、単純に「こうすればよかったかもしれない」として挙げられる候補の数が多くなる。より多くの選択肢を思いつけるようになる。第二に、思いつく選択肢がより"本質的"になる。傾向としては、よりマクロなことを考えるようになると言える。例えば「そもそもこのタイミングで撃ち合った判断は正しかったのか」のようなことを考えるようになる。しかしこれはあくまで傾向であり、ミクロに対比されたマクロは全くもってこのゲームの本質たりうる概念ではない。つまり、より"マクロ"になるのではなくより"本質的"になるのであり、マクロはその途中の姿でしかない。
 そうすると、反省をどう上達させるかが課題となる。これは現状、全バロラントプレイヤーの課題である。ここでは、これまで自分が見つけたコツのようなものを挙げることしかできない。
 コツは、反省をするとき、結論が"どうあるべきか"を慎重に考えることである。例えば反省の内容は結果論的であるべきではないだろうし、再現性のようなものもあってほしいだろう。また「味方がこうしてれば勝ってた」のような味方批判はそのままでは良い反省にならない。そうすると、反省の内容は常に自分を主語にとるべきと言えそうである。
 つまり、考えるべきなのは、「これが負けた原因か?」ではなく「これが負けた原因と考えるべきか?」なのである。「エイムが良ければ勝ってたけど、本当にエイムのせいにすべきなのか?」「マクロの判断が良ければ勝てたけど、本当にマクロのせいにすべきなのか?」と思える感性が要求される。
 その「べき」はどうやって判断するのか。これが明らかになるのは、理論が見つかったときである。理論は一意的な反省を可能にする。理論とは、論理的な思考を可能にする土台である。


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