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楽しいを日常に呼び戻す



コマに色を塗った。

東京おもちゃ美術館の一角で。

先生には「自由に塗っていい」と言われたが、私にはその自由がわからなかった。

(厳密には先生でなく、コマ作りの職人さんである)

与えられた時間は10分程度のものだったが、5分もペンを取らないまま硬直。

子供はすぐに塗り始めるらしい。けれど大人は、どう塗ったらいいかわからず、時間がかかるのだと。

母さん、安心してくれ。おれは立派な大人に育ったみたいだ。

どう塗ろうか散々迷って、結局わからなかったので、自分の好きな色を思うままに塗った。

表現ってそういうものだろうと割り切って。

ただ色を塗るだけだったが、其の時間が妙に楽しく、心地よかったのだ。

無心で何かをやったのは久しぶりな氣がする。



日々やることに追われている。

(まぁ、自分で選んでいるだけなのだが)

近頃、取り組むことには全て目的があって、それらを達成するためにタスクとやらをこなしている。
漫画を描いたり、ショート動画を作ったり、写真を撮ったり、たりたりたり。

今の自分に、コマに色を塗って得られるメリットはない。

何のためにやるわけでもない作業に夢中になったのは、本当に久しぶりだった。

楽しかった。

10分程度の時間だったが、そう。

こういう無益な時間はやっぱり楽しいものである。



近頃はよく子どもの頃を思い出す。

あの頃は無益な遊びのオンパレードだった。

缶蹴り、ドッジボール、公園野球、探検ごっこ


特段お金を稼げるわけでもない、自分の実績になるわけでもないことに、無限とも言える時間を費やした。

楽しいから。

楽しいからいつまでも遊べたし、楽しいから服が汚れようが足が擦り剥けようが平氣だった。

楽しいという感情を味わいたいがために、皆で遊びのルールを考え、もっと楽しくなるようにと工夫し、上昇志向に努めることができたものである。

楽しい時間は無敵の時間だ。

人間をこれ以上ない究極の状態に仕立て上げる。

この状態のまま延々と仕事ができたらいいのに。


本来、私にとって漫画を描くことも、無益で楽しい時間のはずであったのだが、関わる人と抱えるものが増えていくと、そうも言っていられなくなる。楽しいだけではいられない。それが故に、人生という遊びは最も難しい。


久方ぶりに無益な時間に浸り、心洗われた氣がしている。

楽しいという感覚を日常に呼び戻す。

取り戻そうとしてみる。

意識だけでも、少しでも。

いただいたコマを見る度に思い出す。

大人はすぐに忘れてしまうから。

楽しいという無敵の状態を、私はすでに知っている。

知っているのだから、あとは感じるのみである。

日常に楽しいを呼び戻すことで少しでも、人生という遊びの難易度を下げていきたい。



コマ作り職人 竹内淳子さん

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