どうして今まで、自分を縛っていたのだろう
「お前、結局何がやりたいの?」
そう言われるのが怖くて、今まで好きなことを抑えてきた。
本氣で漫画家を目指してから、今年で10年になる。
10年が経ったとはいえ、漫画で何か大きな結果を残せたわけではない。この10年間、描いたり、描かなかったりを繰り返してきた。
漫画を描くこと以外にも、好きなことはいくつかあったし、漫画家を目指していく過程でどんどん増えていった。
音楽、お笑い、絵、写真、
でも、「漫画家になる」と宣言している手前、他のことで活動するのはどうかと思い、なかなか手をつけられずにいた。
冒頭の言葉が頭にチラつく。
周りの目が怖かったのだ。
最近、漫画家を目指すことをやめた。
やめたといっても、描くことをやめたわけではない。漫画は好きで描いていく。ただ、漫画一本で生活していこうとすることを、やめた。
この10年で描いた漫画は10作ほど。そのうち自分の思うように描けた漫画は、2作しかない。それ以外の漫画は全て、なにか合わせて描いたものだ。
漫画で生活していこうとすると、お金のためや、売れるために、世間に合わせて描く必要がある。
10年描いてきたなかで、そのことがとてつもなく嫌にやった。そうやって、なにかに合わせて描いた漫画では、自分の表現がほとんどできないことに氣がついたからだ。
わかっている。漫画家とはそういうものだ。売れるために、売れる作品を描いていくのが、いわゆる商業漫画家。私が目指した漫画家だ。
でもそれが嫌になった。
私は、私が読みたい物語を描きたい。
だから、そのための足枷になるものを、自分の中から取り払った。
不思議と、心が軽くなった。
”漫画家を目指さないといけない自分”が、私の中からいなくなった。
私は今、何者でもない。
「何者でもないなら、何をやってもいいのではないか」
そんな感情が、静かに湧いてきた。
心の縛りが、ほどけてきた。
最近は、好きでやっていることを褒めてもらう機会が多くなった。
写真を撮るのが好きで、誰かと出かけては写真を撮っているのだが、
私が撮った写真を、SNSのアイコンやヘッダーに使ってくれる人が、これまでに何人かいた。
先日は水族館へ、とあるコミュニティのメンバーで行ってきた。
水族館の美しい景色と、メンバーの楽しそうな表情が、私の中で重なった。カメラを構え、ひたすらに画を探す。一瞬しか訪れてくれない最高の画面を逃すまいと、夢中でシャッターを切った。
楽しい時間が終わった後、みんなに私の撮った写真を共有すると、とても喜んでくれた。その場でSNSのアイコンにしてくれた人もいた。
私は、誰に頼まれたわけでもなく、ただ好きで撮っているだけなのだが、
そんな私の撮った写真を、プロのカメラマンでもない私の、たかだかiPhoneで撮った写真を、
氣に入ってくれる、喜んでくれる。
彼ら彼女らの喜ぶ姿を間近で見ていると、写真を撮るのがより楽しくなる。
歌うことが好きで、月に1度は必ずカラオケに行っている。
一緒に行く友人から、歌を褒めてもらうことはこれまでにも多々あったのだが、最近は、その道のプロにも褒めていただく機会が増えた。
直近では、とあるシンガーの方から。いろんなステージにお呼ばれして、歌を披露することで生活している方だった。
その日は、彼のライブに行った。
とあるカラオケバーでこじんまりと行われたライブで、お客さんも多くはなかった。
私は事前に聞いていなかったのだが、ライブ終わりにそのバーで、ちょっとした飲み会が催された。ライブに来たお客さんと、バーの店主らと、シンガーの彼と、テーブルを囲んで楽しく雑談。
そのうち、みんなでカラオケをする流れになった。
バーカウンターの横には、DAMのカラオケ機材と、BOSEのスピーカー、大きなモニターがしっかり取り付けられている。
あまり注目されるのは好きではないのだが、順番が回ってきたので歌わせていただいた。
シンガーの彼は嬉しそうに驚いていた。
「かいちさんの歌にはなにか、伝わってくるものがある」
そんなことも言っていただいた。
まぁ、お世辞なのかもしれないが、それでも嬉しかった。その道のプロに、そんなことまで言っていただけるとは、思ってもみなかったから。
写真、歌、いずれのことも、これまで周りの目を気にして、発信してこなかったことだ。
やりたかったけど、我慢していたことだった。
「おれは漫画家だから、他のことはしちゃいけない」
そんな意識が、漫画家を目指して以来、私にずっと付き纏っていた。
どうして私は、自分を縛っていたのだろう。誰かの目を気にしていたのだろう。批判する人はいるだろうが、その一方で、喜んでくれる人も必ずいるはずなのに。
本当はやりたいと思っているのに、やりたいことをやらないなんて、不自然な話だ。
我慢は体に毒 というが、やりたいことを我慢するのもまた同じだろう。
活き活きと過ごせるのはどちらの方か、今思えば至極明白だ。
一つ、仮説を立てていることがある。
表現の軸が定まっていれば、どんな分野の表現をしても、伝わるものは大体同じなのではないか。
という説だ。
何か表現をすると、感想をいただくことがあるかと思う。私もそうだ。
私の漫画を読んでくれた人からも、写真を見てくれた人からも、歌を聴いてくれた人からも、似たような感想をいただくことが少なくないことに、少し前に氣がついた。
私の表現に対して、「優しさ」や「癒し」という言葉を使って感想をくださる方が、なかなかに多い。
表現したいことが自分の中にあれば、やっている表現はなんであれ、伝わるものはそう違わないのではないか。
であれば、好きなことなら何をやってもいいのではないか。
最近は、そんなことを考えるようになった。
好きなことは我慢しないことにした。
漫画家を目指すのをやめたことで、心の縛りがほどけたのもあるが、
好きでやってることを褒めてもらったり、喜んでもらったりすることが、ただただ嬉しいと感じるからだ。
なにをやっても伝わるものがそう違わないのであれば、なにをやってもいいだろう。
それが自分の好きなことで、喜んでくれる相手がいるのだから。
写真は早速、Instagramで写真専用のアカウントを作ってみた。
仕事に繋げるつもりはない。ただの自己満足だ。まずは自己満足から始めてみようと思う。
歌の方はというと、歌でどうこうなるつもりは特にない。
ただ、作詞作曲には以前から興味があった。そのための勉強を少しずつ始めていこうと思う。
漫画を描くことに変わりはないし、これからも漫画の制作にいちばん時間を費やしていく。
でも、空いた時間にちょっとずつ、他の好きなことをやっていくことにした。
氣がついたときに、そこそこのものが作れるようになっていればそれでいい。続けていけば必ず形になるのだから。
「お前、結局何がやりたいの?」
そんな言葉を10年間も恐れてきたが、今は素直にこう思う。
それはあなたが決めてくれ。