プラスチックの海を観て

平和は家庭から研究家のちーさんです♪

先日息子が通う、私立の小学校の寄付活動の一環としての「映画上映会」に参加しました。観た映画はこちら↓↓↓

「プラスチックの海」

観ていると、動物達の命に影響している人間の出す「ゴミ」について、動物達ということは、もちろん人間にも影響があること。とにかくそう言ったことに向き合っている方々の日々の調査の結果について紹介されます。

この映画の目的は、現状を知ってもらうこと。あわよくば、観た人がそれぞれ感じ取ったものから、自らの生活を見直し、それが環境や地球や人間の現状改善につながっていくこと。であることが感じ取れます。

実際に、チラチラと観ていた息子に感想を聞いて観ました。

「鳥さんが、ゴミで死んじゃうのは悲しい」

「ゴミを捨てないようにした方がいいと思う」

6歳男子の感想です。


私は、話しながら心の奥底に小さなモヤモヤがありました。そのモヤモヤの原因を少し掘り下げて観ました。


・子どもに人間のしている事を「よくない」と認めさせ、行為を改めようとさせているように思えた違和感。

・その前に、自分はできてるの?意識してる?行動を強いられなかったとしても、自主的に行動できる??という、自分への問い。

・こういう映画を以前も観たり、お話会に出たりして勉強している、でもどこかぼんやりと「自分ごとではない」または「諦めのようなもの」などの意識がこびりついている気がする気持ち悪さ。


ざっと言語化しても、こんな感じかもしれません。

映画の後は、オンラインでの交流会があり、九州で子どもから大人まで、海のゴミ拾いをしてくださっている団体さんも参加されていました。1人の女の子が、映画についての感想や活動についてなどお話ししてくれました。


ふと、昔働いていた会社での出来事を思い出しました。


新入社員で入社してきた女の人は、大学院で「環境」についての研究発表をしたと教えてくれました。「そうなんだ、素晴らしいね」と伝えた瞬間、こんな言葉が返ってきたのです。

「私は割り箸をマイ箸にすることによる、社会の影響を調べた時、どんなにマイ箸マイ箸と個人が取り組んだところで、環境への影響は変わらないという事を研究の結果として出しました。」と。

なんと返していいかわからない、「それってつまり、、、」と話したところで、上司に私語を止められました。


それから新入社員の彼女と会うことはなく、話してくれた言葉の真相は、結局不明のままとなりました。その時の事が、ずっと喉の奥に魚の小骨が刺さったままのような感覚として私の価値観に刺さっているのは確かです。


「考えている間に、行動をしたい。」そんな私と、「何かまだわからないその奥の真実を紐解かないことには、永遠に解決できない人間の本質が、そこにあるのではないか。」という私がせめぎ合っているようです。


このことは、これからも考え続け、いろんな人の考えを聴きながら、紐解くプロセスを探求しつつ。でも、子どもに今の時点での「自分の価値観である何か」を無理に植え付けるのはやめようと思うのでした。


#プラスチックの海をみて #環境教育って #子どもに植え付けるのはやめる #新しい視点での行動を探す #マイクロプラスチックに囲まれて暮らす

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