ANOTHER LIFE②

〜SIDE B〜

「えー今のボールはどうですか?野々宮さん」

「そうですね。少しアウトコース厳しいところを狙いすぎましたかね。意識しすぎて外れてしまいましたね」

「なるほど。本日の解説は日米通算401勝。生きる伝説こと野々宮悠さんです」

僕も歳をとった。ありがたいことにプロ野球のアンタッチャブルレコードと言われた400勝を1つだけ超えて引退した。48歳までの実働30年間。長いようで短いプロ生活だった。

ただ、僕が新しく塗り替えた数々の記録は近いうちに全て抜かれるだろう。

僕がプロ野球に入ってから50年以上…今は医療が大きく進歩した。IPS細胞がヒトでも活用されるようになった。

費用は高いが怪我をした組織などもたちまち治せる。僕らの頃は40歳まで続ければ大ベテランと言われていたのに今ではようやく中堅扱いだ。プロスポーツ選手も一昔前のサラリーマンのように60歳定年制となった。

進歩したのは医療だけではない。よくわからないが新たな物理法則が見つかり一昔前は月に行けると喜んでいたのに「過去旅行」がいよいよ導入された。

細かなものも含めての犯罪歴や性格が全てデータ化された。そのデータを照合し厳しい条件をクリアすれば特殊なスーツを着てコードをコンセントに刺すだけで簡単に過去へ旅行が可能になった。ちなみに料金は戻す時間の長さや年齢によって決まるらしい。昨日や数時間前であれば費用は数千円で済むが自分の人生のをひっくり返すような長い時間であればとんでもない費用が必要になる。

僕が今も解説の仕事を続けているのは体調を崩した妻にこの「過去旅行」をプレゼントするための費用を稼ぎたいからだ。妻は僕が野球選手だったせいで夢を諦めて専業主婦になる道を選んでくれた。そんな妻に昔からの夢だった医師の人生を歩んでほしいのだ。若い頃までは戻せないが医師免許を更新して主婦と医師の二刀流を歩んでもらう為に数十年戻せる金額を目標にしていた。

それだけじゃない。妻には哀しい思いを何度もさせてしまった。僕と妻は幼馴染だったがもう1人幼馴染がいた。僕は小さい頃から妻の気持ちに気づいていたのにもう1人の幼馴染がずっと好きだった。その幼馴染は特殊な仕事をしていた。色々な思いがあったのだろう。残念ながら40代で自ら命を絶ってしまった。



「私プロ野球選手のお嫁さんになりたーい!」

きっかけはそんな一言だった。僕の好きな野球漫画でも「男が頑張っちまう理由なんてそんなもんだ」なんていうセリフがあったが本当にその通りだ。

元々の才能も幾分あったのかもしれないが僕は高校までがむしゃらに野球だけをやってきた。その甲斐あってプロに指名される。

第5回選択希望選手 千葉ロッテ
野々宮悠 投手 18歳

飛び上がるほど嬉しかった。下位指名とはいえプロになれたのだ。しかも地元の球団だ。これで海の夢を叶えられる。そう思っていたら彼女はもっと遠くへ行ってしまった。

さまざまな媒体で海が紹介される。僕は一部のマニアックなファンしか知らない2軍選手だ。もっと努力しないと。僕はプロに入ってから更に努力を続けると誓う。

そんな焦りを他所に僕は最初の2年間は2軍暮らしが続いた。今年こそは…と決めた3年目のキャンプ。僕は怪我をして出遅れてしまう。早く活躍して海に…そんな思いが空回りしてしまう。
意気消沈しキャンプ地のホテルに戻った時だった。受付のおばさんが僕に声をかける。

「悠ちゃん!お客さんよ!誰?あの可愛い娘。彼女?」

なんて耳打ちして指を指す。
その指先の方向にいたのはつくしだった。

「ユウ!久しぶりー!ニュース見たよ。怪我したって聞いて。休みだったから会いに来ちゃった」

久しぶりの幼馴染との再会。少しホテルの外を歩く。ゆっくりと話をする。流石に弱っていた僕は辛さのあまり泣いてしまった。

つくしはそんな僕の話を頷きながら聞いている。

「ユウ。ユウはよく頑張ってるよ。焦らなくても大丈夫。私がついてる。力になるよ。」

キャンプ地の鹿児島の海には誰もいない。僕はつくしと見つめ合う。唇を交わす。僕はずるい男だ。つくしの気持ちに甘えて自分の気持ちに蓋をした。

そこからはつきものが取れたように僕は一軍の舞台で結果が出るようになる。順調にキャリアを伸ばしてロッテの若きエースから日本代表の若きエースと呼ばれるようになった頃だった。
僕と海が幼馴染と言う情報がどこかで漏れたのだろう。あるシーズン中のオフの日に対談の仕事が入る。その日はつくしとデートの予定だったが断るしかなかった。

「私も休みなんとかとったのに。留学のお金貯めたいからバイトしてて忙しいんだけど。」

「は?留学?聞いてないんだけど?なんでそんな大事な事言わないの?」

つくしはあからさまに機嫌が悪い。留学の言葉を初めて聞いて僕も言い返してしまう。

「いいでしょ別に。私の夢なんだから。私は海外に行くしいいよ。もう別れよう。私の事本当は好きじゃないでしょ?」

「そ、そんなわけ…」

僕の言葉を遮ってつくしは話す。

「だって私…ユウに1回も好きって言われた事ない!もうユウなんて知らない!」

そう言ってつくしは電話を切ってしまった。

久しぶりに海に会った。流石、球場にも看板があるくらいの有名人。オーラのようなものがすごかった。対談後、海のマネージャーさんが気を遣ってくれて食事の場を用意してくれた。久しぶりの再会で話が盛り上がる。よく考えたらつくしと付き合い始めた時にちょっと話してから全然話していなかった。

お酒は飲まなかった。でもなぜか今夜は気持ちが昂っていた。それなりにプロとしてやっていく実力がついた僕はダメ元で海に昔からの気持ちを伝えた。気持ちだけ伝えて帰るつもりが海も同じ気持ちだったことを知ってしまう。帰るつもりだったのに…僕は朝まで海のマンションで過ごした。

朝からまた練習に励む。心なしか身体が軽い。次の登板も大丈夫そうだ。そう思って遠征先に入った。登板を2日後に控えた夜、僕は球団のマネージャーに呼ばれる。明日朝のワイドショーで僕と海のニュースが出るとの事だった。

登板を回避するかどうかマネージャーからの確認があった。期限は明日の15時。僕は気にしないからと予告先発を予定通り流してもらうことにした。

昼過ぎだろうか。海からメールが入る。試合前だったので簡単に返事をしたが今日は負けたくなかった。練習にも気合が入る。練習の時から相手チームのファンの野次が飛んできていた。

海がどこかで見てくれている。今日だけは負けたくない。僕は夢中で腕を振った。試合はどんどん進み気がつけば9回。いつもなら1番盛り上がるタイミングなのだが球場の様子がおかしい。あれだけ野次っていたファンの声も全く聞こえなくなっていき、ざわめきが聞こえる。相手チームのスコアボードの端から端まで0になっていることにようやく気づいた。ここまでくればやるしかない。僕は最後まで力一杯腕を振った。最後のバッターを空振りに取る。その日1番の歓声が僕を包んだ。

「本日のヒーローはもちろんこの人。完全試合。パーフェクトゲーム達成の野々宮悠選手です」

「ありがとうございます。すみません。インタビューの前に少しだけお時間をもらえますか?お騒がせしてすみません。彼女は幼馴染で大切な人なので温かく見守ってくれると嬉しいです」

そう伝えてからインタビューを受けた。一つ誤算だったのは完全試合達成の影響でその後も急な取材が続き海を待たせてしまった事だった。

「悪い!遅くなった!頑張りすぎちゃったよ」

と話しかける。泣いているのか?俯いている。彼女から帰ってきた答えは予想外のものだった。そしてワイドショーで流された情報は彼女と事務所の自作自演だと言う…ショックだった。彼女は昔からの約束なんてとうの昔に忘れていた。彼女は変わってしまった…。

彼女に仕事も含めて会ったのはそれが最後だった。

その後、僕は留学をやめたつくしとヨリを戻し結婚した。結婚式に海は来なかった。

順調にキャリアを伸ばした僕は渡米する。子供にも恵まれ文句のないプロ生活を歩んでいった。中国のウイルスの影響でアメリカで引退までやるつもりだったのだが古巣に戻り野球を続けた。

その頃 海が自殺したというニュースが入ってきた。僕とつくしはたくさん泣いた。何故。ネットの誹謗中傷のせいなのか。とにかく悔しかった。何故海は自殺しなくてはならなかったのか。わからないままだった。


解説の仕事を終えて僕は病院へ急ぐ。妻のつくしが体調を崩したと聞いたのだ。
僕は旅行会社のAIカスタマーセンターに電話をして過去旅行の手配をしてもらう。病室のつくしは容体が悪化しているように見える。IPS細胞でも治せない難病を患っているのだ。

自動配送システムで過去旅行スーツが病室に届く。僕はつくしと話をする。

「つくし…これで過去に戻って今度は医師としての活動を続けて欲しいんだ。戻ったら僕にまた働きたいと言えばいい。きっと僕は断らない。今まで本当にありがとう。そしてごめん。たくさん辛い思いをさせた…」

僕の声につくしは首を振る。弱った声で精一杯話す。

「違うの…謝らなきゃいけないのは私なの。ユウ覚えてる?ユウが完全試合をしたあの時、ワイドショーでユウと海が噂になって…」

「あぁ。覚えてるよ」

「あれ。私が週刊誌に連絡したの…あの時喧嘩したでしょ?海から対談後にご飯に行くと私も誘われたから…」

「もういい。そんな事気にしてないよ。僕はつくしと結婚できて幸せだった。だから…」

「それだけじゃない。ユウが完全試合をした日。私は海に連絡したの。週刊誌の事。それから私が医者を諦めるという話もしたの。私は医者なんかよりもユウのお嫁さんになりたい。だから諦めて欲しいと泣いてお願いした。海はユウに悪態をついたと思うけど本当は好きだったのよ。女優を辞めて専業主婦になるつもりだった。海を殺したのは私…」

そうだったのか…早くつくしにスーツを着せなければいけないのに黙り込んでしまう。つくしは続ける。

「実はね…私も買ってあるの。スーツ。留学をやめたりして独身時代に貯めてあったお金。それから親から相続した遺産…全財産使っちゃった。ごめんね。」

「いいから。謝らなくていい。どっちでもいいから早くスーツを着るんだ」

「私はいいの。ユウがスーツを買ってここにきてくれることわかってた。過去旅行スーツには荷物を一つだけ持っていけるわ。ユウがこのスーツを持って過去旅行に行って海の自殺を止めて欲しいの。頼んだわよ…愛してる…ユウ。元気でね…」

全てを言い残すとピーーーーという音と共に彼女は息を引き取った。死んだ人間は過去には戻れない。僕は涙を拭って妻が用意したスーツを開封する。持ち込み用のサイドポケットに開封前の折りたたんだスーツを入れて行き先を当時のZOZOマリンスタジアムの自分のロッカーに設定する。
行き先は28年前。料金は現在の貨幣価値で21億円だ…。



「おい!野々宮!聞いてるのか?」

気がつくと僕は球場の監督室にいた。

「それで明日の登板なんだが…」

明日の当番?登板?…なんの話だと一瞬思ったが僕は思い出す。僕は過去旅行スーツを着てタイムリープしてきたのだ。

「明日の登板…あれ?今日は何日ですか?」

監督が心配そうな顔で僕を見る。

「6月3日だ。大丈夫か?お前」

6月3日…海の自殺が見つかったのが6月4日の昼ごろ…まずい時間がない。

「すみません。肩に張りがあります。明日は回避でお願いします!失礼します!」

「おい!お前…」

監督の話はまだ終わっていなかったがロッカーの荷物を拾って急いで車を走らせる。外は暗くなろうとしていた。

「頼む…間に合ってくれ。」

そう願いながら都内の海のマンションへ向かう。彼女が自殺したき、週刊誌やニュースで散々流れていた。僕も献花に行ったから覚えてる。だが大事な事を忘れていた…。厳重なオートロックがあるのだ。前でどうするか悩んでいると1人の男が通る。

「あれ?ロッテの野々宮選手?」

そうか。この時代の僕はメジャーから帰ってきて古巣で腕を振っていた…男気!なんて呼ばれていた時期だ。東京は別のチームのファンが多いが流石に僕の顔は割れている。

「そ、そうです。お願いが!実は中に忘れ物をしちゃったんです」

焦りすぎてロクな言い訳が出ない。

「怪しいなぁ…でもまぁいいですよ。入れる代わりにその車の中にある道具をサイン入りでもらえますか?」

「もちろん!ありがとう!助かった。」

僕は車にあった道具にサインをして男に渡す。そしてオートロックを開けてもらい海の部屋へ急ぐ。自殺の時部屋の鍵は空いていたはず…良かった空いていた。

予想以上に時間を食ってしまった…彼女の部屋を探すと彼女は遺書と大量の薬剤の空のPTPシートの横にたおれていた。
急いで僕は旅行スーツを着せる。料金は僕がこっそり年金や解説の仕事で貯めていた35億。今の海の年齢なら15年は戻れる計算だ。うまく行ってくれと願いつつスイッチを入れる。スーツは大きな光を放ちどこかへ消えてしまった。

「間に合って良かった…」ホッと一息ついた僕は自宅に戻ったが翌日のニュースを見て大変なことに気づいてしまう。

トピックス

ロッテ野々宮 肩の違和感で登板回避。登録抹消へ。

女優 沢口海さん 行方不明に 失踪か

そう。僕の時代なら過去旅行をするものは事前に登録されているためデータ上も過去旅行者として処理される。
この時代にはそれがない。海はこの世界では行方不明になってしまった…ただ行方不明になった事で何故か彼女の最後の作品の演技は再評価された。
もう一つ大変なことを思い出す。この時代の貨幣価値と過去旅行が可能になった時代の貨幣価値が違うこと。注意事項にも書いてあったのにすっかり忘れていた。
この時代の方が円の貨幣価値が高い。もしかすると思った以上に過去まで海は戻ってしまったかも知れなかった…なんとか無事である事を祈って僕は2周目の人生を生きる。
次こそはつくしに医者になってもらうのだ。


「えー今のボールはどうですか?解説の野々宮さん」

「そうですね。少しアウトコース厳しいところを狙いすぎましたかね。意識しすぎて外れてしまいましたね」

「なるほど。本日の解説は日米通算400勝。アナザーレジェンドこと野々宮悠さんです」

解説の仕事を終わらせて僕は自宅に帰る。今の時代ギャランティはすぐにネット口座に入る。ようやく目標金額になった。

次はつくしを救う番だ。僕はつくしにスーツを着せる。

つくしが着たスーツは光を放って消えていった。僕は持っていたほとんどの財産を使ってつくしをあの日に転送した。
戻った時間から今僕がいる時間までのログが流れる。つくしの感情が動いた時の記録が文章で流れるようになっている。
そのログを丁寧に見ていく。ひとつひとつを確認するたびに涙を拭う。

良かった。つくしはちゃんと後悔を払拭した。医師を続けている。ちゃんと留学もした。つくし…そうか…ありがとう。そんな夢を…僕の涙は止まらない。

僕は好きだった幼馴染の死を防ぎ愛した幼馴染の夢を叶え人生の後悔を取り払うことに成功した…
もうこれでやり残すことはない。

50年弱の100億円分のログだ。全てのデータが出るまでには膨大な時間がかかる。つくしがとある研究でノーベル賞を取ったところまで読むと急激に眠くなってきた…それもそうだ。僕はもう実質100年以上生きてる計算になる。やらなければいけないことを終え力が抜けていく。

最後のログが流れる。

「ユウ。本当にありがとう。愛してる。」

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