静岡のおいちゃん

僕には静岡に親戚のおいちゃんがいる。

”いた”という方が正確か。

約3年前、静岡のおいちゃんが死んだ。





僕は福岡の田舎に住んでて、正月は毎年ばあちゃんちに親戚中集まって宴会をするのが恒例だった。
その中でおいちゃんは毎年静岡から来ていた。
70歳くらいのおじいちゃんなのに僕が小学生とか中学生の時期でも友達のように話していた。
いつも焼酎のお湯割りをチビチビ呑みながら、ほぼ目が開いてない状態でぶつぶつ話していた。
子供の僕はそれが何か可笑しく、その様子を見るのが好きだった。

僕が20歳になる前の大晦日に、「酒飲めるようなったけ今度一緒飲もうや」という話をしていた。



でも僕が大学に入り、就職で東京に行くことになり段々会うことが少なくなった。




東京に就職して3年目の夏、親から静岡のおいちゃんが具合悪いと連絡が来た。
ちょうどその2週間後に福岡に遊びに来る予定だった。
その予定を電話で話している矢先だったらしい。
具合が悪いと言っても危篤状態とかではなく、少し入院する程度で見舞いに行くくらいだった。
連絡が来た時は僕も会うの久々だし、ちょうど休みだから行くわ〜という感じだった。

両親とばあちゃんは福岡から、僕は東京から深夜バスに乗って出発した。
バスに乗る直前くらいにまた親から電話が来て、おいちゃんの意識がなくなったと言われた。
急に心臓がバクバクなりだして、中々寝られなかった。

浜松駅には朝5時ごろ着いた。
まだ日が完全に上がってないくらいの澄んだ空気だった。
両親とばあちゃんは駅近くのホテルに泊まっていて、僕もそこに行くことになった。
到着し親に連絡すると、あとで話すからとりあえずホテルおいで。と言われた。

ホテルについて、親父と屋上の大浴場で朝風呂に入った。


そこで親父から「さっき、おいちゃん亡くなったんよ」と伝えられた。

前日の夜から具合が急に悪くなり、朝の4時ごろ息を引き取ったらしい。




1時間間に合わなかった。

後悔した。



なぜか涙は出なかった。




お湯に浸かりながら、説明を聞いた。

部屋に戻ると、母親とばあちゃんと親戚のおばちゃんがいて軽く喋ったあと、ホテルの朝食をとった。
みんな普通に朝飯を食べてて、笑いそうになった。
ばあちゃんは自分で取った輪切りのオレンジを俺に食べさそうとするし。
自分が食べる分だけ取りよーって言っても「栄養取らないけんよ」と言って勝手に僕のお皿に乗せてくる。


朝食を食べ終え、準備をしてレンタカーを借りて火葬場へ向かう。
到着して静岡の遠い親戚と挨拶をした。
おいちゃんは今棺桶に入っているらしく、顔を見に行くことになった。


火葬場の奥の小さいドアを開けると棺桶があり、顔の蓋を開けた。



涙がボロボロと溢れてきた。


おいちゃんの顔はひどく痩せこけて冷たく、おいちゃんじゃないみたいだった。

心の中では、

「え、おいちゃんまだ死んでないよね?」

「東京行ってから全然話せてないけ話せるよね?」

「一緒に酒飲めるよね?」


といろんな感情がぐわんぐわん渦巻いていた。





棺桶の中のおいちゃんの顔を見て、初めて死んだことを実感した。



両親と親戚のおばちゃんも同じく涙を流して、おいちゃんに語りかけていた。



少し落ち着いてから、火葬するために準備をした。



実感はしたが、中々受け入れられずにいた。





諸々終わったあと、僕は東京へ帰るために車で駅へと向かった。

その道中、ばあちゃん達とおいちゃんのことについて話す。

その時も涙が止まらなかった。



20歳になる前の大晦日、「俺が酒飲めるようなったら一緒飲もうや」と話していた。
そう言うとおいちゃんは、

「おう、今飲んでもいいやろ」

と冗談を言いつつ僕に麦茶を注いでいた。





今ならいくらでも飲めるのに、その夢は一度も叶わなくなった。











一緒に酒は飲めんかったけど、最後に顔見れてよかったよ。

俺が天国行ったら焼酎のお湯割りで乾杯しようや。




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