今週のマイブーム「エルピス」

性懲りも無くまた一気観した。
ある回のセリフで「希望とは、誰かを信じられるということ」という言葉が頭から離れない。今週はずっとそんなようなことを考えていたような気がする。

決定的に信じられる言葉を言ってくれたひと、そしてさらには私の言葉を信じられるものとして受け取ってくれたひとは、その人が今そばに居ようが居まいが、これからの人生で会えようが会えまいが、私の心の中にその人がいる。その人がその人らしく今日を過ごしていることを想像して今日も頑張れる。

信じられる、今あの人が言ったこと、ぜんぶ受け取って、私が言ったこと、ぜんぶ受け取ってくれた、という確かな実感、あれはどうして起こるのだろう。私はずっとその正体を知りたい。

あるいはそれは私に向けられた言葉でなくても良い、そもそも言葉でなくても良い。誰かに向けた愛情であったり、ほかの何かにその人が感じていることでもよい、ああ今この人は本物のこの人だ、この人がこの人であることが好きだ、と確信できる瞬間が時に確かにあって、その瞬間、生きている意味のすべてが私に訪れる。

私は私の胸の中にいるその人たちに、いつも愛してると呼びかけるけれど、その表現が正しいのかどうか、どうなんだろう。

レヴィナスの愛や、ドゥルーズの近さ、荘子の魚の楽しみとの関連が関係しているといいのだが。とくに非言語的に確信を感じられるときは、近さが関係している気がする。ああ、今ここにいるこの人がこの人であることが好きだ、という感覚。

ずっとこのことばかり考えていたい。