ノーフューチャーですがお元気ですか?

投げやりな気持ちになることがよくある。自己肯定力がそれほど強くないので。人生において重要な選択をするときほど、ちゃんと考えなければならないので、考え、悩み、行き詰まり、結果的に投げやりになる。そうして進学、就職などの機会に点々と投げやってきた過去の私を線で繋ぐと、今の私にたどり着く。つまり順当な結果。

投げやりになるのは良くない。なぜなら、多くの人が歌っているが、人は自分の身体からは逃げられないからだ。投げやりになって、粗雑に扱っても、使い捨て出来ない。自ら命を絶つことで捨てることに成功した人もいるが、それなりに多くの数いるが、なかなか死というものは、痛い。死ぬほど痛かった、と語る人は生きている。それよりもっともっと強い痛みである。それは死ぬほどの痛み。死ぬほど痛くて死ぬほどの痛み。それは嫌だ。だから生きている。期限の切れたクーポンのような身体を用いて暮らしている。働き、食い、排泄し、眠り、爪を切り、髪を切り、時には腕も切りつつ、暮らしている。やだなーと思いながら、暮らしている。腕を切るのもよくない。痕が一生残る。半袖は一生着れないし、温泉にも行けない、そして今のところ死なない私は近いうちにワクチン接種を受ける。たくさんの人が並ぶ中で、何食わぬ顔で袖をめくり、珍妙な傷跡を晒さなければならない。生きているから。まだ生きるから。

自分を大切にすること、なるべく自分を傷つけないこと、やるなら痕の残らない方法にすること。死なない限り人は生きる。たとえ心が変わっても、身体は変えられない。とはいえ、今、自傷行為などをしている人に「将来、後悔するよ」と言っても、なんの説得力もないのは分かるので、これは別に語りかけているわけではない。思っていることを、語っているに過ぎない。ただ自分を粗末にするよりも、大事にしたほうが、おそらく人生において、アイスやプリンを食べる機会が多くなる、と思う。もちろんそれは、多い方がよい。

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