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左側の外と、右側のわたし//

円の左側は外へ接していて、右側は自分。
そんなイメージ。

自分の感じていることがわからないと思っていたけど、それは微妙に間違いで、
正しくは、「自分のことより先に相手のことを感じている。そしてそっちをどうにかしようとしている」、だった。
相手の感情が揺れたら、「なだめなきゃ」、期待を感じたら「叶えなきゃ」。自分が感じたことは後回しにして、円の「左側」ばかりを見てきた。「右側」のわたしはそのまま放置されて、傷つき、いつしか黙った。

他人のことはどうしようもできない、と知っていたけど、わかっていはいなかった。
母の感情が揺れることは、まだ話せないくらい幼い私にとって、生命に直結する危機だったし、大好きだった友人を不快にさせることは、腕を切ることよりも痛かった。

右と左の間に線を引き、まずは自分を守ること。
何を感じても、自分はそれを認めること。それが自分を守ることだと、感じた。

そしたら、映画を観れば今までの4倍くらい入り込んでしまって、もうドキドキして世界に入り込んでしまったよう。しばらく経っても映像や音がリピートされる。親しい人にあえば、これまでとは別人なんじゃ?と思うくらい、流れ込んでくる情報量が違う。

本当の自分の感受性が開きはじめて、落ち着かない。体と、心とか魂とか、そういうものがそわそわもぞもぞして、大声を出して走り出したい気分。
海に、行きたい気分。

宇宙成分強めの友人が、地球はボーナス旅行だって、と話してくれた。
やるべきことなど、ない。全ては自由。そう、旅行。だとしたら、これから私はどこへ行こう?

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