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薄布

外は、あたたかいらしい。
花が一面に咲いているらしい。
風がやさしく吹いているらしい。

向こうから漏れ聞こえてくる話や、目を凝らしてぼんやり見える景色を頼りにもがいた。ここではない外は、辛いことも悲しいことも何もない、幸せをだけを集めて空に吹き上げている世界なのだと想像した。
ここを出たかった。もう地獄は御免だった……

* * *

四方を鉄柵に囲まれた檻の中にいた。

たまに、外から客が来た。
小さな歌う鳥や、白い髭をたくわえた賢者や、若く溌剌とした旅人だった。
彼ら彼女らが檻の傍らに立ち、暫し留まるその時だけ、私は立ち上がり、話をした。
私の耳に聞こえる自分の声は、実際のところよりも元気があるように聞こえた。外の世界について語る彼らに、私もよく知っているようなトーンで応えた。

檻に届く光は月だけだった。
白い光の満ち欠けで、時間の経過を知った。

いつのまにが、長く時が過ぎていた。時と共に、訪れる客は増えていった。
客が来ない間、私はひたすら床で身を縮めるだけになった。 凍える身体は重くなるばかりで、焦げた手で柵を掴みどんなに揺らしても、 頑丈な柵はびくともしないように思えた。そのうち、外を想像することもしなくなった。

また客が来た。
ボロボロの外套を纏い、旅慣れた雰囲気をもつ女性だった。
月の光が陰ったので、客の訪れに気づいたが、身体を持ち上げる気にならなかった。話すことも面倒だった。衣擦れの音で、彼女がしゃがんだことがわかった。
顔すら上げない私にかまわず彼女は話し続ける。言葉として理解はできるが、いまいち届かない。身体は起こさず、目だけで見上げて盗み見てみるも、彼女の顔は外套に隠れて見えない。
彼女の言葉は止まらない。聞きたくなくても聞こえてくる。
煩わしくてうるさくて、文句の一つでも言ってやろうと思わず身体を持ち上げたその一瞬……

バリっと身体を貫く衝撃を感じた。
彼女の声はもう聞こえなかった。姿も見えなくなった。

空白の後、自分の身体に目をやると、心臓にクリスタルの杭が刺さっていた。
いやぁ……え?……ん?
驚いて、何も考えられなくなった。重い衝撃が、心臓の拍動と重なり身体に入ってくる。何度も。心臓が動くたび、杭は身体に食い込む。その杭を根に、黒い大木がものすごい勢いで伸びていく。次の瞬間にはぽろぽろと、煤のようなものが落ちてきた。大木が炭化して粉々に砕けていく。胃がひっくり返るような吐き気がした。
はずみで涙がぽろっと出た。
目を閉じても、後から後から涙が出て止まらない。

とても長い時間が経ったように感じた。
鼻と、目の周り、頬の骨が割れそうなほど痛い。うまく前が見えない。

全部、白いのだった。
しゃらしゃらと軽い、金属のような音だけが聞こえる。 目を凝らしても、何も見えない。
しばらくすると、風を感じた。ふわふわと、何かかが揺れている。
バンッという音と、地面から突き上げるような衝撃と共に、柵が根元から折れ、檻が倒れた。

布だ、白い布。
白い薄布が揺れている。音がする。
しゃらしゃら、しゃらしゃら。
軽い。

ぼうっと、上を見上げた。
ほとんど白いが、極々うっすらと青が見える。
空だ……

* * *

檻も柵もなかった。
空には太陽があった。
目の前には白い薄布が揺れ、しゃらしゃらと音がしている。

薄布の、「こちら」と「あちら」。
「あちら」ではドラマが起こっている。
笑ったり喜んだり、悲しんだり泣いたり。
「こちら」は白い光がある。

私は「あちら」にも「こちら」にも、 どちらにも在る。
同時に在ることもあるし、行ったり来たりもする。

特別な名前をもっていそうな方法で織られた、「あちら」が透けて見えるくらいの薄さ。白と透明の間くらいの色。さらさらしていて、風に揺れると夢の中の天国みたいな音が、しゃらしゃらする……

伊勢神宮の内宮、本殿で見た白い布が思い浮かぶ。
その白布の奥に、ご神体があるという。あのとき、ぶわっと風が強く吹いて、白布の裾も半ばまで捲れた。奥は全く見えなかった。何か、絶対の法則に護られているように感じた。

* * *

「世界は自分が創っている」、
と、わかっている「つもり」だった。とても長い間。

でも違った。
誰からから聞いて、知っているだけだった。わかってはいなかった。
わかるために、私は一度地獄のような檻、暗く、狭く、寒い場所にいる経験を選んだ。檻の床に倒れて突っ伏して、凍った柵を掴んで、手のひらを焦がし、ただただ体を縮めていることを選んだ。

檻などなかった。
本当は、実は、そんなものなかった。

ただ薄布の「こちら」にいる。
「あちら」にもいる。
布越しに、「あちら」を見ることもある。

あたたかいし、花も咲いている。
風もやさしく吹いている。
最高に気持ちがいい。
今。

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