金八先生は、でも、選んでなかったな―
いろいろ事情はあるのですが...^ ^
最近、金八先生を観続けていました。シリーズ的には第6シーズン・第7シーズンです。
金八先生第1世代の片鱗をかすめる程度の年齢なので、最初の金八先生を観ながら、自分の進路を考えていた世代ですが、このあたりになると観てみませんでした。
で、仕事の関係で第6シーズンの途中から見始めて、第7シーズンまで、一気に観てしまいました。毎回涙しながら観ていたので、よく朝、目の周りが腫れていないかと心配になったのですが、そもそも目が小さいので腫れていても居なくても問題ない、というか、違いがわからない状態なのは幸いでした。
で、次のシーズンとか、前のシーズンとかも、契約したサブスクリプションの範囲内で観られるのが分かったので、そのうち観てみよう、なんて思いながら、ふと気づいたのは、金八先生は、中学校の先生だったんだ、ということです。
金八先生シリーズは、受験期の中学生のサプリメント的な効果を求められたのか、ある時期から(だと思うのですが)年度後半の枠にはめられて放映されていたと思いますが、今回、第6、第7シーズンを観ただけですが、金八先生は受験生を送る側なんだなぁ、ということをあらためて認識しました。
中学校の先生だったら、子どもたちは義務で入ってくるし入って行きた子供を選別したり、別格扱いしないのが金八先生のすごいところなのだけれど、実は、僕は、選ぶ側。
仕事だからもう数十年やってきましたが、受験生を選ぶ辛さっていうのが、今回、金八先生たちと、あらためてシンクロした気持ちがします。
選ぶことって本当は辛いですよね。
なのに、それを仕事として何のサポートもなく振られるし、拒否する選択肢も与えられない。人を選別するっていうことが、どれほど大変なことなのかを、もしかしたら、今の職場の人達は分かっていないのかな、と思う。
金八先生が、選ぶ側に回った時にどんなふうにするのか観てみたい、今回切実に思いました。
僕は、もう20年近く前に大学全入時代を見通して、入試をできるかぎり柔軟にしたある大学のある課程で仕事をしてきて、その課程が潰された後、別の部署に所属されて、正直言って、選ぶことについては前向きだけれど選ばなかったことについては何も語らない、ようなところで働いています。
そんなところに配属されたとしたら、金八先生は、どんなふうに言葉を紡ぐのだろうか、とても聞いてみたいと思いました。
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